今日1月6日は、「Heilige Drei Könige」(ハイリゲ・ドライ・ケーニゲ)の日で休日です。
このドイツ語を直訳すると。「聖なる三王」となるでしょうか。
日本語では、東方三博士、東方三賢者とも言われています。
新約聖書のマタイ書では「イエス・キリストが生まれ、ベツレヘムからの星に
導かれて東からやって来る学者」としか書かれていません。
つまり人数なども書かれていないわけです。
しかしすでに3世紀ぐらいから「人数」と「王様」で登場していたようで、6世紀初頭にはそれぞれの名前も与えられたようです。
この東から来た三学者は、ヘロデ大王のもとへ行き「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」について尋ねます。
ヘロデ大王が「幼子を見つけたらここに連れて来るように・・・」と言いましたが、3人は王の所へは戻らず、そのまま帰って行きました。
彼ら3人には名前があり、それぞれ以下の物をイエスに捧げます。
カスパール (アジアを象徴)
没薬を渡し、将来の受難の死を意味する老人の姿で登場
メルキオール (ヨーロッパを象徴)
黄金を渡し、王権を意味し、青年の姿で登場
バルタザール (アフリカを象徴)
乳香を渡し、神性を象徴し、普通は黒人で壮年の姿で登場
これは12世紀のヨーロッパでは、ヨーロッパとアジアとアフリカの3大陸だけだと信じられていたことも関係があると思います。
この内容に合わせて、Weihnachtskrippe (ヴァイナハツクリッペ)という、
イエスが生まれ、まさにこの3人がイエスを拝みにやって来るシーンを表す
ジオラマが多く見られます。
今日12月26日はクリスマス休日の2日目です。
こちらオーストリアではStefanitag(シュテファニーターク)と呼ばれています。
これは12月26日は聖シュテファヌスの日であることから来ています。
シュテファヌスはキリスト教の最初の殉教者で石を投げられて殉教した聖人です。
このコーナーでもよく出て来る、ウィーンのシュテファン大聖堂は、このシュテファヌスに捧げられているわけです。
先週の12月の22日の日曜日が、アドヴェントの第4日曜日でした。
そこでAdventkranzには4本のロウソクが灯されました。
今日は12月24日クリスマスイヴです。
ザルツブルクから車で20kmぐらい走った所にOberndorf (オーベルンドルフ)という人口5600人程の小さい街があります。
この街こそ世界的に知られた「きよしこの夜」が初めて歌われた場所なんですね。
このコーナーでは色々なクリスマス市について書きましたが、今日12月23日はいくつかの例外を除いてクリスマス市の千秋楽です。
ウィーンの真ん中に立つシュテファン大聖堂前のシュテファン広場でもChristkindlmarktが出ています。
ここは地下鉄の駅も目の前で、ケルントナー通り、グラーベンもそばにあることから
行き交人々がとても多いいので、クリスマス市という雰囲気ではなく、街中のちょっとしたスタンド的な雰囲気です。
観光では日本の皆様にとってあまり一般的ではないかもしれませんが、Schloss Hof のChristkindlmarktは地元でもとても有名です。
Schloss Hofは、ウィーンから車で約60km、スロヴァキアの国境に近いMarchfeldの一角にあります。
ここは12,13世紀にすでにVeste Hof と言われ、
Eckartsauerの所有でした。
オスマントルコの2回目のウィーン包囲で地位と名声を築いたプリンツ・オイゲンが、(ウィーンのベルヴェデーレ宮殿で有名)1725年にこの一帯を入手し、ルーカス・フォン・ヒルデブラントによってバロック宮殿に改築させました。
美術史博物館と自然史博物館の間にはマリア・テレジアの像があるマリア・テレジア広場があります。
そのマリア・テレジア像の反対側の通りには、横長の建物のMuseumsQuartier (MQ)・・・博物館地区があります。
これは1725年馬小屋として建てられたバロック建築です。
1922年からは見本市会場として使われ、2001年にこの建物を残し、その中庭空間を大きく改築し、博物館地区としてモダンなスポットに生まれ変わりました。
レオポルド美術館、現代美術館、建築博物館、子供博物館、Kunsthalleなどや、おもしろい店やレストランなどが多く入っています。
この時期私も日本からのお客様とも、また個人的にもクリスマス市によく行きます。
どこでも売ってる物が似通っていて・・・結局は飽きてしまう・・・なんていう意見もあると思いますが、それぞれのクリスマス市にはそれぞれの雰囲気があるので、
実際に何かを買う・・・と言うよりもその雰囲気を楽しみに行くんですね。
地元の皆さんもそう思ってますし、私も実際にそう思います。
そこで何かいいものを見つけたら買う・・・そんな感じです。
このコーナーでも今月12月は、クリスマス関係やクリスマス市について多く紹介していますが、今日はマリア・テレジア広場のChristkindlmarktです。
モーツァルトが生まれた街として知られるザルツブルクのクリスマス市は素敵です。
写真で見られるように「Salzburger CHRISTKINDL-MARKT」という名称です。
ザルツブルクの大聖堂の形がイメージされていますね。
街中ではクリスマスツリーを売る業者が色々な所に見られます。
こちらでは必ず本物のもみの木を毎年買って飾ります。
よくあるおもちゃのツリーを飾る習慣は家庭ではまずありません。
もみの木はTannenbaum(タンネンバウム)とドイツ語で呼ばれますが、特にこのクリスマスツリーのもみの木は、ここオーストリアではChristbaum(クリストバウム)と呼ばれています。
40cmぐらいから2mぐらいまでの様々なもみの木が、街中のちょっとした一角(例えば地下鉄駅のそばや、スーパーの敷地、広場等)で売られていて、値段も異なっています。
まっすぐで、とても葉が密集していて、形がいいもみの木は値段も高いです。
平均的に20~60ユーロぐらいのもみの木が売られています。
つい先日「街中のイルミネーション」というタイトルで、グラーベンとコールマルクトの
イルミネーションを紹介しました。
今回は、その3大歩行者天国の「ケルントナー通り」です。
たいていのガイドブックではウィーン一番の目抜き通りとして書かれています。
このアドヴェントの時期、ウィーンの街の至る所で通りのイルミネーションを見ることができます。
毎年クリスマスの時期になる少し前に大きなクレーンなどが導入されて
大掛かりなイルミネーションを取り付けています。
今日はウィーンの有名な歩行者天国のイルミネーションです。
ウィーンには多くの場所にChristkindlmarkt (クリスマス市)が出ているわけですが、
それぞれのクリスマス市にはそれぞれの雰囲気があります。
その中で、地元でとても人気のある「Spittelberg」(シュピッテルベルク)の
クリスマス市について少し書きたいと思います。
今日12月6日は「聖ニコラウスの日」というこのクリスマスの時期のとても重要な日です。
ニコラウスは小アジア(現在のトルコ)のMyra の司教であり、だいたい350年ぐらいに亡くなったとされている聖人です。
貧しい人達を憐み、助けて、財産を全て貧者に与えたとも言われています。
よくある有名な彼のエピソードは、年頃3人の娘を持った、貧しい父親の話です。
お金がなかったので、嫁がすこともできなかった・・・そこで娘たちが体を売ってお金を作ろうとした時に、ニコラウスが3日3晩現れ、その家の窓から、もしくは煙突から金貨を投げ込んだとされています。
その金貨がそこにぶら下げられていた靴下の中(もしくは置いてあった靴)に投げ込まれた・・・ということです。
何か思い当りますね!
もうひとつのエピソードは、航海中嵐によって難破しそうになった船の上で、船乗り達がニコラウスの名前を呼んだら海の上にニコラウスが現れて、命を救った・・・ということです。
ウィーンにはこのアドヴェントの時期にたくさんのクリスマス市(Christkindlmarkt)が
出てますが、シェーンブルン宮殿も地元では人気のあるクリスマス市のひとつです。
平日は意外と訪れる方は少ないですが、週末は観光の皆さんに増して
地元の家族連れの皆さんが多く訪れます。
先月11月18日付で、ウィーンのクリスマス市のオープン時間を紹介しました。
こちらではクリスマス市のことをChristkindlmarkt(クリストキンドルマルクト)と多くの人が呼んでいます。
今日12月1日は ADVENT (アドヴェント)の第1日曜日です。
ウィーンにいくつもあるChristkindlmarktの中でも市庁舎広場が一番大きくて、華やかでイルミネーションも素敵です。
屋台の大きさも他のChristkindlmarktとは違って大きいです。
でも一番物価が高いクリスマス市かもしれません。
前回「クリスマスの習慣はどこから来た?」というタイトルで、クリスマスの起源について書きました。
こちらオーストリアのクリスマスは、私達日本のクリスマスとは根本的に違っています。
そもそも私達日本のクリスマスはアメリカナイズされたクリスマスです。
とにかく私達日本にはアメリカの習慣が残念ながら多く取り入れらています。
これはいかに日本とアメリカの関係が深いかという象徴でもあると思います。
こちらオーストリアではサンタクロースがプレゼントを持ってくる・・・
なんてことは絶対ありません。
では誰が持って来るかというと子供のキリスト(Christkind・・・クリストキント)が持ってきます。
だってクリスマスはキリストが生まれたことを祝うものであり、それが12月25日ですね。
ちなみにサンタクロースは、聖ニコラウスから変化したもので、12月6日がニコロ・・・
と地元で呼ばれている日です。
このことについては聖ニコラウスの日12月6日に紹介します。
そのためクリスマス市のことを、こちらではたいてい「Christkindlmarkt」と
呼ばれています。
このクリスマスの時期のことを「ADVENT」アドヴェントと呼んでいます。
日本語でアドヴェントでもいいと思いますが、待降節とか降臨節なんて呼ばれています。
ADVENTはラテン語のadventusから来ていて、「到着/到来」を表します。
もともとAdventus Domini(ドイツ語でAnkunft des Herren)で
人間世界へキリストが到来すること・・・という意味です。
クリスマスイヴから遡って約4週間の期間で、厳密には、クリスマスイヴに一番近い日曜日から遡って4回の日曜日を数えます。
もし12月24日が過去にもありましたが、たまたま日曜日であればそのイヴが
4回目の日曜日となります。
一番早くて11月27日が第1アドヴェントの日曜日、一番遅くて12月3日となります。
ちなみに今年は明日12月1日が第1アドヴェント、12月22日が第4アドヴェントの日曜日です。
当初この習慣は、5世紀後半に聖マルティン祭(11月11日)からと定められましたが、
グレゴリウス1世の時代に4回と定められました。
さて、このADVENT時期に至る所に見られるものを紹介したいと思います。
現在世界の多くの国が、12月25日の「クリスマス」を祝います。
ドイツ語ではWeihnachten (ヴァイナハテン)と呼ばれています。
ここオーストリアでも生活の中ではこのクリスマスが年間で一番重要な行事です。
(宗教的には復活祭が一番重要ですが)
以前ウィーンのクリスマス市を紹介しましたが、12月24日まで、街は1か月以上もクリスマスの雰囲気で盛り上がるわけです。
このクリスマスというのはどこから生まれたのでしょうか?
この前11月6日にキリスト教の成り立ちについて書きましたが、313年にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の時代、おそらく325年のニケーアの公会議で、もしくは336年12月25日にローマ帝国でキリスト降誕祭が行われているのはほぼ確実とされていることもあり・・・あるいは354年とも?・・・いずれにしても325年~354年にイエスの生まれた日が12月25日に定められたようです。
聖書の中にはイエスがいつ生まれたかというハッキリした記述はありません。
当時ローマ帝国は多神教で、キリスト教はそのひとつであったわけです。
キリスト教は様々な異教に出会い、その祝祭日をキリストの誕生日にせざるおえなかったわけです。
言い方を変えれば、当時ローマ帝国で普及していた太陽神側にもいい顔をし、自ら認めたキリスト教側にもいい顔をして・・・というように帝国をまとめるための苦肉の政策のようにも見えます。
以下3つの大きなお祭りがクリスマスのベースとなっています。
①その多神教の中での太陽神ミュトラスを信仰するミトラ教はとても重要で、
太陽神の誕生を祝う冬至祭が12月25日であったこと。
②農耕の神サトゥルヌスを崇め、豊穣を祈願するお祭りのサトゥルナーリア祭、
これは紀元前217年頃からあったとされています。
③北欧のユールの祭りからも影響を受けています。
北欧においてもケルト、ゲルマンが信仰していた神々やその風習が取り入れられ、
収穫の感謝と太陽の復活を祝う冬至のお祭りがありました。
これらの習慣が現在私達の時代のクリスマスに密接な関係があるわけです。
この時期クリスマスが後何日したら来るんだろう・・・とワクワクして待つ時期のことを
と呼んでいますが、(厳密にAdventは、
クリスマスイヴから遡っての約4週間を指します)
それに合わせてウィーンの街中ではChristkindlmarkt(クリストキンドルマルクト)
・・・いわゆるクリスマス市が至る所で開かれます。
クリスマスの習慣などについては、まだ別の機会に御紹介したいと思いますが、
今日はウィーンの主だったクリスマス市のオープン時間を掲載したいと思います。
(「ウィーン観光で役立ちそうな情報」でも紹介しています)
速い所では、11月15日からオープンしています。
ウィーンのこの時期に来られる方は、是非参考にして下さい!