かなりの花が咲き終わりモードになっていますが、今日は先日市立公園で綺麗に咲いていた花です。
こちらはドイツ語でStorchschnabel
(シュトルヒシュナ-ベル)、
学名ではGeranium,日本語ではフウロソウ属です。
フウロソウ属は種類が多く、
420種類以上あるそうです。
フウロソウ科のフウロソウ属で、多年性の草木植物です。
この種類は遅くとも16世紀からは栽培されていました。
ラテン語のGeraniumは、ギリシャ語の「geranos(鶴)」に由来するそうです。
ドイツ語ではStorch(コウノトリ)、Schnabel (くちばし)で、花が咲いてる姿ではなぜこの名前になったのかわかりませんが、実は、長いくちばしのように見えることから、
果実を鶴のくちばしにたとえたもの・・・ということです。
種類があまりにも多いのでこの花の学名がGeraniumの後に、さらに何がくるのか調べていませんのでわかりません。
高さ60cmぐらいまで、花の直径は2cm~4cm,花弁は5枚です。
この写真は紫ですが、種類によってピンク、白、青紫などもあります。
一般的に水分があり、適度に水はけがよい所で育ちます。
世界のほとんどの大陸で見ることができ、日本でもかなりの種類があります。
この写真のように公園や庭に好まれて植えられています。
陽気がよくなって、ちょっとしたハイキングを兼ねた散歩によく出かけますが、
個人的によく行くウィーンの森の自然公園 "Hagenbachklamm"に5月初めに出かけた時にその一角で
サラマンダーを見ることができました!
ドイツ語でもSalamanderで日本語と同じサラマンダーです。
サラマンダ―の種類は90種類程あるそうですが、北半球の北アメリカ~ヨーロッパ~アジアに生息しています。
私が見たこのサラマンダーはドイツ語でFeuersalamander(フォイアサラマンダ―)、学名ではSalamandra salamandra、日本語でもファイアーサラマンダ―です。
黄色い斑点が特徴なヨーロッパに生息する陸生有尾類です。
この種類は中央ヨーロッパと南ヨーロッパの一部に見られ、スカンジナビア、イギリス、
アイルランドには生息していないようです。
体長は15cm~25cmぐらいで、黒の体に黄色の鮮やかな警戒色が見られます。
暗くて湿った場所を好むようで、近場に繁殖に使える水がある落葉樹林地帯に生息し、
多くは石や倒木の下、木の根の隙間などで過ごすそうです。
警戒色のため天敵はいないようですが、本当に追い詰められると毒液を噴出します。
このHagenbachklammは、Hagenbachという川が流れており、その川辺の散歩コースを歩いている時に、偶然川で見つけました。
じっとしていたり、少し歩いたりとだいたい合計7分ぐらい姿を見ることができ、その間に撮影しました。5月6日の16:00から16:07分の間です。
その後、そのまま石の下へ消えて行ってしまいました。
水場の破壊、化学物質による汚染などが原因で、確実に数が減っていて、オーストリアでもレッドリストに入り保護動物とされています。
今年は花の咲き始めが早く、この時期かなりの花がもう枯れ始めています。
今年の春は色々な種類の花が一斉に咲いたという印象があります。
去年のこの時期にも紹介したニワトコです。
ドイツ語ではHolunder (ホルンダ―)、
学名ではSambucus nirga,日本語では
セイヨウニワトコとかエルダーとも言われています。
ドイツ語で一般的にHolunderと呼ばれていますが、厳密には
Schwarzer Holunder
(シュヴァルツァー ホルンダ―)と
専門書などには紹介されています。
これは花が咲いた後になる実が黒いことから来ています。
Holunderは種類がいくつかあり、
黒いSchwarzerに対して、赤い実がなる
Roter Holunderも知られています。
スイカズラ科のニワトコ属で落葉低木です。
3m~7mぐらい、ものによっては9mぐらいにもなりかなり高くなります。
幹がかなり太くなるものもあり、ものによってはしっかりした"木"もあります。
開花時期は5月~6月で、全体的に薄い直径10cm~20cmぐらいの円状で、その中に
たくさんの3mm~8mm程度の小さいクリーム的白の花を咲かせます。
非常に甘い香りを放ち、ジュースやハーブティーなどに用いられ、スーパーにはHolunderのジュースが売られています。
新石器時代から人々はニワトコの実を集めていましたし、薬用植物として呼吸器官系や解熱に効くとされています。
またゲルマン民族からの習慣で、いわゆる悪霊を遠ざける意味もあり、
聖なる木としての意味もあります。
標高1200mぐらいまでに見られ、この時期自然の中、公園、庭などにとにかく多く見られます。
前回の知られざる美しい中庭風景7では、細長い空間を紹介しました。
今回は第8弾です。
こちらはこの
シリーズの最初に紹介したBlutgasse界隈の別の空間です。
緑が茂り、とても静かな空間で、
シュテファン大聖堂のすぐそばとは
思えません。
この空間は誰でも入ることができ、
よく見るとベンチがあります。
またベンチの右上には「犬禁止」の札が立っています。
奥の多く窓がある建物と、右に見える白い建物はくっついていますが、住所が違う別の建物同士です。
この空間からは3方向に行くことが
できます。
こちらもウィーン旧市街の一角で、
この建物の入口に向かって中庭奥から撮影したものです。
アーチの奥に見られる黄色っぽい建物は、公道を挟んでこの建物とは反対側です。
この中庭は以前にも少し登場したPawlatschen (パヴラッチェン)という中庭バルコニー構造を見ることが
できます。
パヴラッチェンは、およそ1830年頃のビーダーマイヤー時代から、
商業用住居の始まりにVorstadt
(フォアシュタット)・・・これはZweier LinieからGürtel
(ギュルテル)までの地域(現在の2,3,4,5,6,7,8,9区)で、広く普及
しました。
その理由は建設費の節約でした。
建物の中に、それぞれの住居に入るための通路を組み込むと、コストが高くなったので、
安いPawlatschenが好まれました。
旧市街地にあるPawlatschenはバロック時代から存在していたようです。
ウィーンはこのようなバルコニー構造を持った建物がたくさんあります。
去年11月26日付で「ウィーン空港から国鉄を使う時の注意」をすでに書いていますが、
よく御質問があるのでもう一度ここでまとめたいと思います。
空港からウィーン市内に来るには、迎えが来てる人は別として、通常はタクシー、CAT(City Airport Train)、空港バス、国鉄S-Bahn(S7)のどれかでしょう。
CATはその場で買うと片道12ユーロ、空港バスは8ユーロです。
一番安いのは国鉄ÖBBの "S7"で来る方法で、以前にも書きましたが、4.40ユーロで中心まで来られます。
到着ロビーから国鉄方面へと行くと、自販機があるのでそこでチケットを購入します。
この写真のように出発案内のスクリーンを見て下さい。
ここにはS7,CATが、出発時間、行き先、番線が見られます。
S7の "Floridsdorf"行きが中心方面です。
Wolfsthal行きは反対方面ですから間違わないようにして下さい。
通常このS7に乗ると、たいていの方はWien Mitte-Landstraßeで降りると思いますが、ホテルの位置によってはその前のRennwegや、逆にWien Mitte の次のWien Pratersternの方がいい場合もあるかもしれません。
いずれにしてもウィーン国際空港からS7で市内に来る場合は、このFloridsdorf 行きに乗って下さい。
S7は30分に1本が基本ですから、安いですけど少し不便です。
※2015年12月よりrailjetやICEなどがウィーン国際空港に乗り入れているので、実際には本数が多くあります。
前回にも書いていますが、ウィーン国際空港は、ウィーン市内ではありませんでの、ウィーン市内の境界まで、つまりSchwechatまで2.20ユーロ、そしてそこからウィーン市内分の2.20ユーロがかかりますので気をつけて下さい。
24時間等の時間券も自動販売機で購入できますが、それプラスSchwechatまでの2.20ユーロのチケットが必要です。
ちなみに今年7月1日からウィーン公共交通機関の値段が上がりますのでまた後日お知らせします。
※2016年7月6日よりウィーン国際空港~Schwechat間は €1.70-になっています。
ウィーン国際空港からウィーンの街中までは €3.90- ということになります。
シューベルトの誕生日の1月31日付で、ウィーンにあるシューベルトの生家について少し書きました。
シューベルトはここに生まれてから4年半住むことになります。
実際に2階に彼が住んだ場所で、
後にウィーン市がこの建物を
買い取り、1912年6月18日から
博物館として一般公開されました。
その後、シューベルトが実際に生きていた当時のように修復されて
1969年5月14日から新たに一般公開されています。
このシューベルトの生家の中庭の奥に、あまり気づくことがないものがあります。
これは、「Forellenbrunnen」(フォレレンブルンネン)、日本語では
「ますの泉」です。
ます(鱒)は、シューベルトが1817年に作曲した歌曲です。
それを主題にした変奏曲が登場するピアノ五重奏曲「ます」も知られています。
この泉は、Josef Müllner (1879-1968)によって1910年に作られたものです。
シューベルトの生家の中庭を更に奥に行くと、ちょっとした広めの庭があります。
通常そこは鎖がかかっているので立ち入りはできません。
でもそこから庭の左側にこの「ますの泉」を見ることができます。
これも前回と同じ場所でオペラ座裏にある王宮のアルベルティーナの階段です。
今年の復活祭の時期に、このアルベルティーナ美術館の屋根の上のうさぎを紹介した時に少し書きましたが、このデューラーの野うさぎは2003年以来から10年以上ぶりで再び展示されています。
それを大きくアピールすることもかねて、この階段にはデューラーの作品が表されています。
この野ウサギは1502年、デューラーが32歳の時のものです。
奥に見えるのは、復活祭の時にピンクのうさぎが載せられていた屋根です。
スポンサーであるドロテウムのロゴも見られます。
このアルベルティーナは、マリア・テレジア女帝の成人した子では次女にあたるマリア・クリスティーナの夫であるザクセンのアルベルト公がここに18世紀終わりから住みました。
このアルベルト公はグラフィックコレクションを所有しており、それがベースになって現在のアルベルティーナ美術館になっています。
このデューラーの野ウサギが見られる展示会は、
デューラー、ミケランジェロ、ルーベンス(アルベルティーナの100の傑作)
という名称で、2014年3月14日~2014年6月29日まで行われています。
この時期ウィーンではよく綿が飛んでいます。
実際ウィーン以外でも例えばヴァッハウ渓谷の船下りの起点であるメルクの街もよく綿が
空中を漂うように飛んでいます。
こちらはドイツ語ではPappel (Gewöhnliche Schwarz-Pappel),
学名ではPopulus nigra,日本語では
ポプラ、特にヨーロッパ黒ポプラと言われています。
しかし、実際日本では外国からのポプラの和名はややこしく、整理された名前がないようで、同一種でも別名や別表記が多く、不統一なものが多いようです。
一般的に明治時代に日本に入って来た種類をポプラと呼ぶそうです。
ヤナギ科のヤマナラシ属または
ハコヤナギ属です。
北半球の温帯地域に見られ、中央ヨーロッパから中央アジア付近にまで分布しています。種類は100種類程はあるそうです。
高さは30mぐらいまで達するものもあり、垂直に伸び、幅が広く、幹の下の方からもよく枝が分かれてきます。
樹齢が進むと、幹は太くなり、黒灰色っぽくなっていきます。
だいたい100年~200年の寿命です。
花は5~9cmぐらいで、数本が赤っぽく細長くぶら下がったようで、
3~4月ぐらいが開花時期です。
葉は長く、この種類は三角形に近く先が尖っていて、ふちは細かいギザギザが見られます。最初はふさふさの毛のようなものがついていますが、時と共につるつるの濃い緑色になります。
花が咲き終わると、今頃のように綿毛つきの種子を大量につけて、これがタンポポのように風にとばされて街中に舞っています。
このように地面が雪のように
綿毛で真っ白になります。
ポプラは、川沿いに非常に
多く見られます。
特にヨーロッパではドナウ河、
ライン河、エルベ河に多く見られます。
しかしウィーンの街中では、
運河沿いにも見られますが、
この写真のように街路樹としても植えられています。
ウィーンの森は歴史的にも重要な観光スポットが点在していますが、通常ウィーンの街から半日観光でウィーンの森南方面に出かけることが多く、ハイリゲンクロイツ修道院、
マイヤーリンク、ゼーグロッテといった見どころを中心に回ります。
地元の皆さんや、ウィーン近郊ではなくもっと遠くに住んでいる地元オーストリア人の人達は、車でウィーンの森に来て、車を停めて、Wandern (ヴァンデルン)・・・いわゆる
ハイキング、森歩きをこの豊かな自然の中で楽しみます。
ハイキングをすると、必然的に整備されたハイキングコースを歩くので、
ウィーンの森に点在している街を見るということではなく、文字通り森の中、林の中を歩くわけですね。
ウィーンの森に新石器時代の跡も確認されていて、
ベートーヴェンも住んだMödling (メードリンク)という街が、先日紹介した
リヒテンシュタイン城に近い所にあります。
この街から上の方に見える廃墟のお城があります。
これがそのBurg Mödling (Burgruine Mödling)という
メードリンクの廃墟のお城です。
この廃墟のお城は、Föhrenberge (フェーレンベルゲ)という
ウィーンの森南側に広がる
約6.500ヘクタールの自然公園に指定されている一角にあります。
フェーレンベルゲという名称は、オーストリアクロマツがこの地域に多く生えてることから(Föhren・・・ マツ)来ています。
このフェーレンベルゲの周りには、MariaEnzersdorf,Hinterbrühl,Mödling,Gaaden,Gumpoldskirchenといった
街があります。
記録では10世紀頭、903年として残されています。
メードリンクの廃墟のお城は、バーベンベルク王朝時代ウィーンに宮廷を移した
ハインリヒ2世の息子のひとりである、Heinlich de Medlich によって12世紀半ばに
作られました。
当時オーストリアでは175m x 80mと一番大きなロマネスク様式のお城でした。
16世紀からは荒れ始め、最終的に18世紀終わりには壊され、その後1808年からは
リヒテンシュタインの所有となり、一部再建されますが、その40年後にはもう廃墟と
なってしまいます。
こちらはその廃墟の城
メードリンク城の内部です。
ローマ時代を思い起こさせる
アーチの窓が残されています。
この写真では見られませんが、
反対側の方には、12,13世紀の
部分が少し残されています。
ここからの眺めはとても素晴らしいものがあります。
もしウィーンに何日が滞在することができれば、十分行ってみる価値があると思います。
去年の夏に食料品の値段が高騰したことや、オーストリアは結構物価が高いことなどに触れましたが、今日はここ一年以内で主な食料品がどのくらい高くなっているのかを見たいと
思います。
この統計はスーパーの価格を基本としたもので、食料品と日用品が対象です。
※AK (Arbeiterkammer)より
品物 | 上昇率 |
冷凍ピザ | +26.6% |
ゴーダチーズ | +20.4% |
バナナ | +16.6% |
フライドポテト | +15.7% |
コーラ | +14.4% |
リンゴ | +11.3% |
牛乳 | +11.2% |
シャワージェル | +10.8% |
シャンプー | +8.9% |
バター | +8.9% |
トマト | +5.0% |
瓶ビール | +5.0% |
ジャム | +4.4% |
品物 | 上昇率 |
ネコのえさ | +3.6% |
ジャガイモ | +3.1% |
お米 | +1.9% |
チョコレート | +1.8% |
白ワイン | +0.5% |
ミックスパン | +0.5% |
赤ワイン | ±0% |
卵 | ±0% |
オレンジジュース | ±0% |
ペンネ | -0.8% |
きゅうり | -5.2% |
洗剤 | -8.7% |
コーヒー | -11.6% |
これによれば冷凍ピザが約27%も高くなっていることがわかります。
私は冷凍ピザは食べませんが、実際に生活して買い物をしていると明らかに
食料品や日用品が高くなっていると実感します・・・。
ウィーンの街は普段あまり気に留めない所に歴史的重要な場所や物があります。
でもそんな一瞬何だろう・・・と思わせる物が少し街の歴史を知っていると全く違った
貴重な物に見えてくるんですね~。
地下鉄1号線(U1)のSchwedenplatzにもそんな物があります。
こちらは砂岩で作られた双頭の鷲で、
よく見ると真ん中に紋章をみることが
できます。
ワッペンの左上と右下は旧ハンガリーを、右上と左下は旧ボヘミアを表しています。
さらにその真ん中にはオーストリアの国旗の基になったと言われる赤・白・赤の
横縞ワッペンが見られます。
この横縞ワッペンは通称「BINDENSCHILD」
(ビンデンシルト)
と言われるもので、13世紀の
バーベンベルク王朝時代から
登場していました。
こちら向かって左の写真はやはり砂岩で作られたワッペンでハンガリー帝国を
表しています。
右側の写真は岸辺のマリア教会のKreuzblumeと言われる塔の先端部分で、
15世紀前半の砂岩で作られたゴシック時代の物です。
こちらはとても貴重な昔の城壁がまだあった頃のウィーンの街並みです。
目の前の城壁はGonsagabastei (ゴンザーガバスタイ)で、1646年に作られ、
リンク道路が作られる1859年に取り壊されます。
これは城壁が取り壊される直前に撮影された写真でしょうか。
この城壁には赤い数字が1,2,3と付けられていますが、この数字の場所が上で紹介した
ワッペンとKreuzblumeがあった場所です。
1.ハンガリー帝国 2.双頭の鷲 3.岸辺のマリア教会
一番手前が現在のドナウ運河です。
この歴史的貴重な物が見られる場所は、ウィーン歴史博物館によって、前述した
地下鉄1号線Schwedenplatzの実際に地下鉄に乗るホームに展示されています。
ドイツ語では
Staiuden-Lein
(シュタウデン・ライン)、学名でLinum perenne,
日本語では
ペレニアルフラックス(シュッコンアマとも)
です。
アマ科のアマ属で多年草
です。
高さは30cm~60cmぐらいですが、100cmぐらいまでになるのもあるようです。
原産はヨーロッパで、青紫の花をたくさん咲かせます。
開花時期は4月~5月で、花の大きさは3cm~4cmぐらいでしょうか。
原産がヨーロッパであるにもかかわらず、すでにかなり珍しい花で、絶滅の危機にさらされているため守られています。
オーストリアではNiederösterreichだけしか見られないようです。
この写真のペレニアルフラックスは、ヒルシュシュテッテンの花壇庭園の駐車場のそばで、自然に咲いていたものです。
これが咲いている場所は、花壇庭園内にあるように意図的に手入れされた花壇ではなく、
自然的な緑地帯です。
様々な建物が色々な建築様式で建てられているウィーンの街ですが、外から見ると豪華な
石造りに見えますが、骨組みはたいてい煉瓦が積まれています。
「ヨーロッパの建物の外壁」を参照して下さい。
ウィーンでは古い建物の骨組みはそのままにして、それを綺麗にして再利用することはよく見られますが、建物そのものを完全に取り壊して、新しい建物を同じ場所に建てることはそうそう多くは見られません。
ある時、ウィーンの街中の一角で
建物の解体作業をしている所を通りかかりました。
まるで戦争か何かの後の様で、
瓦礫の山です。
爆弾を落とされたと言っても不思議ではなさそうです。
この瓦礫の山は映画「第三の男」を思い出させます。
中の煉瓦がたくさん見え、左手奥にはアーチ構造らしきものがあったようです。
こちらは数階建ての建物を解体している場面です。
クレーン車を使って、瓦礫のほこりがすごいので水をまきながら解体しています。
古い建物をそのままにして、外側や
内部をリフォームする方が、ゼロから新しい建物を建てるよりもコストは
一般的にかなり安いわけですが、
諸事情により解体せざるを得ない場合もあるわけです。
ウィーンは外側に行けば様々な集合住宅などを建設している場所はいくつもありますが、
建物を完全に解体する場面はあまり見ることができません。
教会シリーズとして今日はダ・ヴィンチの最後の晩餐のモザイクがあるミノリーテン教会のついて少し書いてみたいと思います。
ミノリーテンはフランシスコ会から枝分かれした修道会です。
フランシスコ会は1209年にアッシジで設立された修道会で、ウィーンにはバーベンベルク時代のレオポルド6世によって1224年に呼ばれます。
その後まもなく王宮に近いこの場所に教会と修道院を作ります。
1275年に街の火災があり、その後プジェミスル家のオットカル2世が現在の基本となるこの教会の基礎となる石を置いています。
当時のオーストリアでの最初のゴシック建築の教会のひとつです。
当初1209年に設立されたフランシスコ会は小さき兄弟会(ミノリーテン)と言われます。
14世紀に入って会則が変わったり、緩和されたりしたことから1430年頃から枝分かれが生じ、最終的に1517年枝分かれし、ミノリーテンの改革派としてフランシスコ会が生まれます。
その後1528年にはさらに枝分かれしたカプチン会も成立しています。
現在のミノリーテンはフランシスコ会、カプチン会よりも規模が小さくなっています。
ちなみにこの最初のミノリーテンから1212年にClarissen(クラリッサ女性修道会)が設立されています。
こちらは教会内部です。
14世紀前半までに完成していますが、主祭壇は18世紀後半ホーエンベルクによって当時のゴシック様式で置かれています。
祭壇画の中央にはIgnazioUnterberger(1742-1797)によるローマのサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂で崇拝されているマリア慈悲画のコピーが見られます。
現在の形としてはもう少し後の14世紀半ば頃に完成しています。
托鉢修道会の典型的な広い内部空間を見ることができます。
1529年にはオスマントルコの1回目ウィーン包囲があり、比較的城壁に近く建てられていたこの教会の塔はかなり目立つトルコ軍からの標的でした。
その時に塔の先が壊されました。
その後塔は再建されましたが、1683年2回目のトルコ軍のウィーン包囲でも壊されました。
そのためこの教会の塔は先が欠けたようなおもしろい形になっているわけです。
1782年にヨーゼフ2世の改革よりミノリーテン修道会がここを去った後、1784年6月3日から現在までイタリアKongrekationの所有となっていて、「Maria Schnee」(雪のマリア)に捧げられています。
この「雪のマリア」は432年8月5日ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が奉納されるきっかけとなった、358年の朝の「雪の奇跡」伝説から来ています。
この教会内部には詩人・オペラ台本作家のピエトロ・メタスタージオの墓石があります。
(本人はここには眠っていません)
この教会の周りの雰囲気も静かで中々素敵です。
こちらも王宮の一角の最上階から見た眺めです。
王宮の別の角度から見た建物部分の最上階の窓が右に見えています。
正面に堂々とした王宮のドームが見えています。
このドームはミヒャエル広場に立つと正面からよく見ることができます。
この角度から煙突越しにドームが見えている光景はとても珍しいです。
王宮は本当に複雑です。
こちらも王宮の別の最上階付近
からの眺めです。
ウィーンに詳しい人であればこれがどこだかわかると思います。
これはヨーゼフ広場にある、
世界一美しい図書館とも言われている「プルンクザール」の
天井フレスコ画が描かれている
部分です。楕円形の窓がひとつ
見えていますね。
一番手前は屋根に置かれた装飾です。
この天井部分の向かって右側には王宮庭園が広がっています。
つまり左側がヨーゼフ広場です。
あの素晴らしい図書館があるとはとても思えません!
前回「ウィーン市の概要」でウィーンの街の大きさや標高などについて書きましたが、
今回はウィーン市の人口について少し詳しくまとめてみました。
このデータは2013年1月1日時点によるものです。
※ウィーンMA 23 からのデータでStatistik Austriaより
人口統計情報 | 全体 | 男性 | 女性 |
人口 | 1.741.246 | 836.116 | 905.130 |
外国国籍所有者 | 400.911 | 201.815 | 199.096 |
外国から来たオーストリア国籍所有者 | 602.881 | 291.325 | 311.556 |
出生数 | 18.265 | 9.566 | 8.699 |
死亡数 | 16.404 | 7.456 | 8.948 |
ウィーンに新たに入って来た数 | 90.441 | 48.637 | 41.804 |
ウィーンから出て行った数 | 68.127 | 37.995 | 30.132 |
オーストリアで生まれてウィーン市民に | 771 | 386 | 385 |
外国で生まれてウィーン市民に | 1.720 | 746 | 974 |
平均寿命 | 79.7 | 77.1 | 82.4 |
この統計によれば、永住権をもっている外国人国籍者は全体の23%になりますね。
また何らかの理由でウィーンに来て、こちらでオーストリアの国籍を取得した人は全体の
約35%にのぼります。
状況は違っても、かつてのハプスブルグ帝国時代の多民族国家を思わせるようですね。
今日のテーマである「ウィーンによく見られるこの時期の花」は、そのシリーズタイトルにはふさわしくなく、ウィーンの街中ではそんなに多くは見られない花です。
でも、ウィーンにある植物としてこのカテゴリーに含めたいと思います。
こちらはドイツ語でMandelbaum (マンデルバウム)、
学名ではPrunus dulcis、日本語ではアーモンドです。
バラ科のスモモ属の落葉高木です。
原産はおそらく西南アジアで、
地中海沿岸から黒海にかけて自生しています。
南ヨーロッパ、アメリカ、
オーストラリアなどで栽培されいて、カリフォルニア州が最大の産地で、日本では瀬戸内海の小豆島(しょうどしま)で栽培されているそうです。
高さ6m~10mぐらいになります。
花は3月~4月ぐらいに白、桃色の花をさくら同様一斉に咲かせます。
実がなるのは通常6月頃でしょうか。
7月~8月に実が熟して、秋にかけて割れ出して、種子のアーモンドが乾燥していきます。
上の写真は5月4日16:30頃に撮影したものですがもう実がなっているのがわかります。
このアーモンドは以前ここでも紹介した、ヒルシュシュテッテンの花壇庭園に植えられていたものです。
今日はいきなりインスブルックで、インスブルックに行けば誰もが見る
「黄金の小屋根」について書きたいと思います。
インスブルックは私の大好きなチロル州の州都ですが、ウィーンから高速道路で476km
離れた所にある、アルプス地方では最も人口が多い有名な歴史ある古都です。
ウィーンからはかなり離れていますね。
これはインスブルックのメイン通りHerzog-Friedrichstraßeです。
この突き当り奥にインスブルックの
シンボルである有名な黄金の小屋根が
見えています。
その背後にはアルプスのKarwendelが
見え、その一角のHafelekar(2334m)の手前まで、Nordkettenbahnで手軽に登って行くことができます。
チロルは1363年からハプスブルグ家の所有となります。
この黄金の小屋根 (Goldenes Dachl)がある建物はneuer Hofと呼ばれ、
この中に1420~およそ1460年までの40年間、ハプスブルグ家のチロル領主
"空ポケットフリードリッヒIV世"と
その息子Sigmundの居城が置かれていました。黄金の小屋根はその後に作られたものです。
この黄金の小屋根は、ハプスブルグ家の後の皇帝マクシミリアン1世の依頼によって、
Niclas Türing d.Ältere が1500年に
完成させています。
中に見えるフレスコ画は、
マクシミリアン1世の宮廷画家
Jörg Köldererによるものです。
全部で2657枚ある銅のこけらぶき屋根には、火による熱処理で金が塗られています。
観客席のような形になっていて、欄干にレリーフが施されています。
この写真のレリーフ真ん中2枚の左側は、マクシミリアン1世と、マリア、ビアンカの彼の2人の妃が描写され、
右側はマクシミリアン1世がまっすぐこちらを見つめています。
それ以外の4枚はカップルで踊る軽業師です。
2階の欄干レリーフは精妙に彫刻された紋章で飾られています。
左から順に
オーストリア、
ハンガリー、
神性ローマ帝国、
ドイツ王国、フィリップ美公、ミラノのスフォルツァ家が描写されています。
ここでは見えませんが、この欄干の左右張出部分にも紋章があり、
それぞれシュタイヤーマルクとチロルを表しています。
つまり計8枚です。
この黄金の小屋根は全体的にゴシック様式ですが、上部に行くに従ってルネッサンスの到来を示しているという興味深いものです。
映画「第三の男」は、ウィーンが万華鏡のように登場し、カンヌ映画祭でもグランプリを獲得した往年の名映画です。
白黒ですが、ウィーンを知らなくても十分おもしろく、ウィーンの街並みを知っているともっとおもしろい映画で、1949年キャロル・リード監督によるもので、今でも第三の男ファンの方がたくさんウィーンに集まります。
私もこの映画は好きで、いつか時間があればそれぞれの映画のシーンがどこで撮影されたかをここで書きたいぐらいです。
映画で印象的だったシーンはいくつもありますが、大観覧車とラストシーンの並木道は今でも色々なお客様から質問を受けます。
以前ここでも紹介した「ウィーン名物大観覧車」では、少し第三の男に触れています。
今日はその第三の男の有名なラストシーンの並木道についてです!
「第三の男」のラストシーンの並木道はウィーンの有名な中央墓地にあります。
通常観光では中央墓地というとやはり音楽家のお墓がたくさんある区域を訪れますが、この映画ファンの方にとっては並木道の方が大事というわけです。
御興味があれば中央墓地、中央墓地2、中央墓地3、中央墓地4も御覧下さい。
ラストシーン直前でハリー・ライム
(オーソン・ウェルズ)の埋葬シーンがあります。彼の恋人であったアンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)がその埋葬場所から立ち去って行った直後、この写真の場所が登場します。
お墓と並木道の間の緑の芝の所を奥に向かって
彼女が歩いて行きます。
この写真のずっと奥に白いユーゲント・シュティール様式の人が,うつむいているようなお墓が見えています。
これがこの並木道がどこで撮影されたかという大変重要なヒントになるわけです。
このユーゲント・シュティールのお墓の前で、マーティンスとキャロウェイ少佐が車に乗り込みます。
ちなみに左から2番目には現在墓石はありませんが、映画ではここにも墓石がありました。
その後、彼女がこの並木道を真っ直ぐ奥にに向かって歩くシーンです。
上の写真と比較して下さい。
上の写真の左側から2つ目のお墓が、
この写真では一番左側です。
その後、アンナがこちらに向かって
歩いてくる時の並木道です。
これも同じ並木道ですが、前の2つの写真と比べると、方向が逆に撮影されています。
決め手は奥の並木道の一番奥のロシアの碑と、右側に見える前述したユーゲント・シュティールの白いお墓です。
いよいよ本当のラストシーンの並木道です。
実はこれも同じ並木道で撮影されたもので、この写真のすぐ左前方で、マーティンスが
カートにもたれかかってアンナが歩いて来るのを待っています。
アンナがこの並木道を奥の方からこちらに向かって歩いてくるわけです。
しかし、アンナはマーティンスの前を無視して、そのまま通り過ぎて画面から消えて行く・・・というエンディングです。
この本当のラストシーンは前述したこの並木道のロシア碑を背にして撮影されたものです。白のユーゲント・シュティールのお墓よりも、奥で撮影しているためにこのシーンでは映っていないんですね。
映画の並木道は秋から冬場なので、彼らはコートを着ていますし、並木も葉がなく、落ち葉が並木道にいっぱい落ちていました。
この並木道は、中央墓地のカール・ボロメウス教会の裏側にあります。
ウィーンにはたくさんの個性溢れる博物館がありますが、その中のひとつで
Haus der Musik (ハウス・デア・ムヅィーク)、日本語で「音楽の家」というおもしろい博物館があります。
このHaus der Musik は、すでに15世紀から記録では確認されている建物にあり、Palais Erzherzog Carlと呼ばれている宮殿内にあります。
2000年から話題性たっぷりでオープンした音楽・音をテーマにした体験的博物館です。
ちなみにこの宮殿の名であるカール大公は、マリア・テレジアの孫のひとりで、1809年ウィーン郊外のアスペルンでナポレオン軍を破ったという英雄として知られています。
この博物館の入口は3か所あり、中に入るとグランドピアノが置かれている広々とした吹き抜け空間が演出されています。
この空間ではちょっとくつろげる椅子も並べられ、自販機コーナーがあるのでスナック類やコーヒーなどを買うことができます。
地下にあるトイレもここから行きます。
博物館は日本でいう2階から始まりますが、2階にはウィーンフィルハーモニー博物館があります。
こちらの写真はウィーンフィルハーモニー博物館の一空間で、ウィーンフィルの創始者オットー・ニコライが立っています。
ウィーンフィルは1842年3月28日に彼のもとで誕生しました。
このコーナーでは歴代ウィーンフィルの指揮者や指揮棒、またサイコロでころがして
簡単なワルツが作曲できる遊びなどがあります。
3階はSONOSPHEREというテーマで、音と映像のマルチメディア的空間です。
母体の音を体験したり、生活の中での様々な音を聞いたりと楽しい空間です。
4階は作曲家がテーマになっていて、
ハイドン、モーツァルト、
ベートーヴェン、シューベルト、
ヨハン・シュトラウス等の有名な作曲家のそれぞれの部屋があり、自筆譜の
ファクシミリ等を見ることができます。
音楽を専門的に知っている方はこの階はおもしろいでしょうか。
何と言ってもこの階でおもしろく、またこのHaus der Musikの呼び物であるものは、ウィーンフィルをバーチャルリアリティーで指揮することができる空間です。
指揮棒を手にして、曲を選び、画面の中のウィーンフィルを指揮します。
指揮の微妙な動きに合わせて楽団員が演奏します。
これはかなり楽しいですよ。
4階は、劇場監督として舞台に立ち両手を使って演出が楽しめる空間です。
最後に充実したショップがあります。
ちなみに最上階にはカフェレストランと小さなコンサート会場があります。
ここは音楽をテーマにし、様々な角度から楽しめる体験的博物館で、大人だけでなく小さなお子様にもお勧めできます。
実際に家族で来る方も多いです。
ウィーンの中心部と場所もいい所にあるとてもおもしろい博物館です。
この時期ウィーンの公園や庭などに、一輪咲きで紫のボールのような花をよく見かけます。たいてい何本かまとまって植えられていたり、室内に置かれる花瓶などに他の花といっしょに見られます。
去年もこの時期に紹介したアリウムです。
ドイツ語ではLauch,学名でAllium、日本語ではアリウムで、ユリ科のネギ属です。
アリウムは700種類ぐらいあるそうで、こちらは
Allium giganteum,ドイツ語でRiesen-Lauch、
日本語では巨大ネギですがアリウム・ギガンチウムと
一般的に呼ばれています。
別名はハナネギです。
アリウムは地中海からオリエント、チベットぐらいまでの地域にほぼ分布しています。
このアリウム・ギガンチウムは、高さ80cm~150cmぐらいまでになり、開花時期は、5月~7月で、全体での花の直径が10cm~20cmぐらいと大きいです。
ひとつひとつは1cmぐらいでしょうか。
薄い紫や濃い紫が一般的です。
葉も真っ直ぐに50cmぐらいの長さで、幅が5cm~10cmぐらいと大きいです。
アリウムの種類はたくさんありますが、このアリウム・ギガンチウムはひときわ大きく一本でも、まとまっても見ごたえがあり、観賞用としてとても人気があります。
以前の第九交響曲の家を見て頂くとわかりますが建物の色は薄い黄色でした。しかし・・・
最近こちらの写真に見られるように、オレンジっぽい色もしくは
明るい茶色に塗り直されました。
以前の色がずっと定着していましたから、最初に見た時にはあれっと
思いましたが、実はこの色は
ベートーヴェンが当時ここに住んでいた頃の色だそうです。
前回は外にある第九の旋律の記念プレートを紹介しましたが、今回は内部の雰囲気を
少しだけ紹介します。
内部は博物館になっていて、
非常に明るい雰囲気です。
いくつかの部屋に分かれていますが、実際にベートーヴェンが住んだ空間は、中に入ってすぐ左に少し入った寝室とその奥の空間だけで、それ以外の部屋は記念館として使われていますが彼が住んだ空間では
ありません。
こちらの写真はベートーヴェンが当時住んだ空間ではなく、入り口正面から続く2つ目の
部屋で、ベートーヴェン時代の当時の調度品や様々な資料が展示してあります。
ビーダーマイヤー時代の雰囲気ですね。
こちらは入口から入った左側の本来住んだ空間の寝室です。
ここに置かれているベットはおそらくベートーヴェンの使用していたベットということになっています。
ベートーヴェンはとにかく引っ越しを多くしました。
彼は生涯独身でしたし、身の回りの物と作曲に必要な物ぐらいしか
なかったので、彼の住んだ住居は
決して大きくありません。
この記念館に入ると、やっぱり外で見ているのとは違い、ベートーヴェンが、
そしてあの第九交響曲がもっと身近に感じます。
この記念館でその他見られる資料もとても興味深い物がありますので、
ここは十分見学する価値があります。
こちらはちょっと珍しいウィーンのガス灯です。
よく見ると、ロウソクのようにほのかな火が灯されているのが見えますね。
これはシェーンブルン宮殿のすぐそばにある
ウィーンで最後に消されたガス灯です。
現在では再びこのようにガス灯を見ることが
できます。
ウィーンで初めて公に街燈が灯されるのは、
1687年11月7日です。
ハプスブルグ家の皇帝レオポルド1世の時代に現在のウィーン旧市街1区にあるDrotheergasseで、試験的に脂による17個の街燈(ドイツ語でLaterne)が設置されました。
その1年後には、皇帝の決断によってすでに
2000個の街燈が設置されました。
当時から88年間は、その外灯が設置された場所の市民が、自ら燃料を入れたり、
掃除や点火を行っていました。
その後18世紀後半には油からの外灯になり、Lampenknecht(ランペンクネヒト)という人々が点火などを行っていました。
1818年にウィーンでは初めてガス灯が導入され、現在の旧市街地に25個設置されました。
19世紀の後半に電球が発明され、それからは徐々に電気が優勢になっていきました。
6個の電球街燈が試験的に試され、その後1902年からは電球の街燈が設置され、
1923年からガス灯が電灯に徐々に変わっていきました。
そして1962年11月27日、当時にウィーン市長フランツ・ヨーナスによって最後のガス灯が消されました。
それがこのガス灯だったわけです。
こちらはその最後に消されたガス灯のすぐそばに掲げられている記念プレートです。
Hietzingという文字が見えますが、これはウィーンの13区の名称であり、
ここの地名でもあります。
ちなみに夜、このガス灯はどうなっているか
というと、御覧のように今でもちゃんと
使われています。
もちろん電気のおかげでとても明るく灯されているのがわかります。
ウィーン市は2008年からソーラー、LED仕様の
外灯を試験的に導入しています。
街の外灯の歴史も興味深いものがあります。
ここオーストリアの企業No.1と言えばエネルギードリンクの"Red Bull"でしょうか。
去年「オーストリアの重要企業」というタイトルでベスト10を紹介しました。
そのトップのRed Bull 以外でも多くのエネルギードリンクが市場に出回っていますが、
それぞれのエネルギードリンクの糖分やカフェイン量を比較している記事が新聞に掲載されていました。
※VKI (Verein für Konsumenteninformation)より
製品名 |
100mlの カロリー |
100mlの カフェイン/タウリン |
1缶当たりの 糖分 |
Rockstar (アメリカ) | 59 kcal | 29/387mg | 67g |
Monster (アメリカ) | 48 kcal | 30/379mg | 55g |
Power Horse (オーストリア) |
48 kcal | 30/398mg | 53g |
Race (オーストリア) | 49 kcal | 30/385mg | 38g |
28 Black Acai (ルクセンブルク) |
57 kcal | 28/ <1mg | 35g |
Bum (コカ・コーラ) | 56 kcal | 30/383mg | 33g |
Mad Bat (ドイツ) | 50 kcal | 25/ <1mg | 30g |
Clever (オーストリア) | 46 kcal | 30/43mg | 28g |
Full Speed (オーストリア) |
49 kcal | 31/370mg | 27g |
Oxxenkracherl (オーストリア) |
47 kcal | 30/308mg | 27g |
Flying Power (オーストリア) |
48 kcal | 30/436mg | 26g |
S-Budget (オーストリア)
|
45 kcal | 30/383mg | 26g |
Red Bull (オーストリア) |
45 kcal | 30/403mg | 25g |
VKIの調べによると、エネルギードリンクにはいかに糖分が多く含まれているかが
わかります。
Red Bull が25g,角砂糖8個分で、Rockstar は67g,角砂糖22個分です!
こちらはまだ完全に暗くはなりかけて
いないウィーンの一角です。
あまり鮮明な画像ではありませんが、
ウィーンに詳しい方はすぐにどこから
この景色を見てるかわかると思います。
真下の広場はマリア・テレジア広場で、正面に見えるドームを持った建物は
自然史博物館です。
その右奥には、先が尖った塔が見えますが市庁舎です。
その市庁舎のもっと右奥にはうっすらと2本の塔を持ったヴォティーフ教会が見えます。
この3つの歴史的建造物は写真で見る限り、リンク道路沿って建てられているようには
見えませんね。
こちらの光景もウィーンをよく知っている方でしたらすぐわかる街並みだと思います。
街灯がずっと奥に向かって並んでいるのが見えますね。
これはReichsbrücke
(ライヒスブリュッケ)・・・
日本語では帝国橋でしょうか。
この橋の最初は1876年です。
現在は3つ目のもので、865mの長さがあり、この真下にドナウ河の本流、新ドナウが流れています。
写真右側の奥に伸びる曲線は地下鉄1号線で、ちょうど中心から来るとこの橋の辺りから
地上に出て来ます。
手前にはウィーンの市バスが信号待ちをしています。
ウィーンの夜景は決して派手ではありません。
しかし、歴史的建築様式作られた建物は、それだけを単純にライトで灯すだけで
素晴らしく映ります。
シェーンブルン宮殿の一角にこの写真に見られるフジのアーチがあり、
とても素敵に咲いています。
アーチの外側にもたくさんのフジが
咲いていますし、アーチの天井からもたくさんのフジがぶら下がって咲いています。
この美しいフジのアーチは
シェーンブルン宮殿正面に向かって
右側の西側庭園の一角にあり、
宮殿後ろのグロリエッテが見える庭園に行く時に見ることができます。
この写真は5月2日午前中8時30分頃に撮影したもので、ちょうどこの時間は太陽が差し込んで来ます。
こちらはそのアーチの
外側に咲いているフジです。
4月30日の午前中に撮影
しました。
フジはドイツ語で、Blauregen
(ブラウレーゲン)とか、
Glyzinie
(グリツィーニエ)、
学名ではWisteria sinensis
もしくは
Wisteria floribundaで、
マメ科のフジ属です。
原産は東アジア(中国)、高さは10mぐらいまでのつる性の落葉樹です。
開花時期は5月~6月ですが、今年はここも早く咲きました。
色は薄紫、紫、濃い青、白、ピンクなど様々です。
1~2cmぐらいでいい香りがします。
フジ属はとても強く、木のようになっていきます。
また1年に2回咲きます。最初は今頃、2回目は7~8月です。
観賞用としてこちらでは
とても人気があり、垣根や壁、
シェーンブルン宮殿のようにアーチ状などにしているのを
よく見かけます。
ちなみにWisteria floribundaは日本固有種のフジです。
ウィーン21区の地元で有名なホイリゲがあるStammersdorf の近くを流れるMarchfeldkanal(マルヒフェルトカナール)・・・マルヒフェルト運河は水路沿いの散歩道とサイクリングコースとして地元ではよく知られています。
マルヒフェルト運河は、Niederösterreichから、ウィーンの北側を通り、再びNiederösterreichのRußbachに流れ込んでいる全長約18kmの川のような水路です。
ちなみにRußbachは、Niederösterreich のWeinviertelを流れ、Hainburgでドナウ河に流れ込む約71kmの川です。
マルヒフェルト運河はマルヒフェルト運河システムの一部です。
マルヒフェルト運河システムはドナウ河の水をマルヒフェルト地域に流し、自然地下水の維持と農工業の水使用の持続確保、水害防止、自然の中でのくつろぎを
主な目的とした、国とNiederösterreichのプロジェクトです。
マルヒフェルト運河システムは、1986~2004年にかけて、なるべく自然に近くなるように
形成された全長約100kmで、Marchfeldkanal, Rußbach, Obersiebenbrunner Kanal、 Stempfelbachから成り立っています。
ウィーンにおいてこのマルヒフェルト運河は、21区の
Jedlesee,
Strebersdorf,
Großjedlersdorf,
Stammersdorfを流れます。
また鳥や魚など様々な生き物も生息しています。
こちらはビーバーの巣です。
昼間はビーバーの姿を見ることはまずありませんが、暗くなってからビーバーは水から出てきて、周辺の木々をかじって、それを自らの巣などに使います。
この写真ではかなり太い木がかじられていることがわかります。場所によってはかじって木を折って、それを持ち去っています。
このマルヒフェルト運河は、人口水路とは全く思えず、まるで昔からこのように川が流れているようで、自然そのものです。
この川の両側には散策路が作られ、また全部で45の橋もあり、散歩、
ノルディックウォーキング、サイクリングなどとリゾート気分で地元の人達が楽しんでいます。
私個人的にもここは好きでよく足を運んでいます。
ウィーンの郊外にあるということもあり、マルヒフェルト運河周辺の景色もとてものどかでのんびりして、周辺には畑なども見ることができます。
例年通りこの時期のウィーンの街は様々な花が咲いています。
「森の都」とも言われるウィーンですから街の至る所に緑があり、庭園、公園がには多くの花が植えられています。
こちらはBlauglockenbaum
(ブラウグロッケンバウム)とドイツ語で
呼ばれ、学名ではPaulownia tomentosa,日本語ではキリです。
ゴマノハグサ科で、キリ属です。
原産は中国の中央や北側で、落葉広葉樹
です。
日本には古く中国から入って来たようで、
北海道の南西部以南直裁され、もしくは
野生化して山地に生育しているそうです。
背丈が20mぐらいまでとかなり高くなり、
薄い紫の花を咲かせます。
高いので遠くからでもよくわかります。
開花時期は5月ですが、ウィーンの中心部では、今年4月の終わりには
もう咲いていました。
花は薄い紫の円錐形で、花弁は長さ4~6cm、
上に向かって30cm
ぐらいまでの高さに
たくさんの花を
咲かせます。
Glockeは"鐘"という意味のドイツ語ですが、そんな形をしています。
日当たりのいい場所が好まれ、ヨーロッパの、冬にそこまで寒くならない場所にも
多く見られ、観賞用として人気があります。
古くから良質の木材として使われ、軽く、柔らかく、木目も美しいです。
先日5月1日にドナウ河の最も美しいと言われるヴァッハウ渓谷に行きました。
いつものようにメルクから船下りをして有名なデュルンシュタインで下船しました。
この小さな街がこの日はとても賑わっていました。
それはこの街の人達がちょうどMaibaum (マイバウム)を立てる所でした。
MaibaumはMai/5月,Baum/木
という意味です。
装飾した木を、5月1日や4月30日に
街の中心に立てる習慣があります。
ウィーンの街でも見られる所はありますが、一般的に郊外の田舎街や村で
この時期頻繁に見られる習慣です。
このMaibaumを立てる習慣の起原についてはハッキリわかっていません。
もしくは色々な説があります。
よく言われているのがゲルマン民族の
儀式・典礼がベースになっていること
です。
ゲルマン民族は、森の神様を崇拝し、
敬意を表しました。
その古代ゲルマン民族時代におそらく木を立てる習慣があったのでしょう。
でも現在見られるようなMaibaumとしては13世紀まで遡ることができます。
オーストリアでMaibaumは、1466年からということです。
場所によってMaibaumの装飾スタイルも様々ですが、
オーストリアはこのスタイルを多く見かけます。
このデュルンシュタインのMaibaumのてっぺんにはオーストリアの国旗が掲げられています。
Maibaumの高さは20~25mぐらい、でも場所によっては60m近くになる高いものもあるようです。
現在では春の到来を祝う、村のちょっとしたお祭りです。
また、おもしろい習慣のひとつにMaibaumを盗む習慣もあります。
ウィーンを観光する方にとって、
シュテファン大聖堂と並んで目安になる建物と言えば国立オペラ座です。
地下鉄1,2,4号線のKarlsplatz駅や、
路面電車が多く走るリンク道路上に
面しています。
ウィーン主要劇場でも触れていますが、この国立オペラ座は、1709席、
立ち席567席、年間300回近くの公演数を持ち、客席の埋まる割合が年間平均98%弱、また例外を除いて同じ演目が2日と続かないわけで、セットを毎日取り換えている・・・という想像を絶する運営状況です。
いつか時間がある時にこのコーナーで座席の値段などについて書こうと思ってますが、
国立オペラ座の値段は演目によって基本は大きく9つのカテゴリーに分かれています。
様々な座席があるわけで、座席も8ランクに分かれていて、基本カテゴリーによって
同じ座席でも値段が変わるようになっています。
国立オペラ座で一番いい席は4種類あり、
Parkett 1~6列目 (平土間)
Parterre Loge 11~13番の1列目 (平土間ボックス)
1.Rang Loge 11~13番の1列目 (1階ボックス)
Mittelloge (中央ボックス)
となっています。
この4つの席の値段は今年のシーズン(2014年6月まで)で、最高カテゴリー"P"の時は250ユーロ、バレエの"C"カテゴリーの時は130ユーロとなっています。
※以下国立オペラ座公式サイトからの座席表です。
http://www.wiener-staatsoper.at/Content.Node/pageparts/zoom_06.html
去年5月5日付で「ウィーン シェーンブルン宮殿の花」として紹介した
セイヨウサンザシですが、今年も綺麗に咲いています。
宮殿に素晴らしい効果を与えるので、このコーナーでも取り上げたくなってしまいます。
ドイツ語では、Rotdorn
(ロートドルン)、学名で
Crataegus laevigata ‚Paul’s Scarlet‘ + Punicea + Punicea Flore Pleno、日本語では
セイヨウサンザシです。
バラ科のサンザシ属です。
セイヨウサンザシはかなり深く根付き、低木もあれば、10mぐらいまでの高い木もあります。
ヨーロッパから北アフリカにかけての標高1000mぐらいまでの所に見られ
ローム土壌(粘土質の高い土壌)を
好みます。
しかし、こちらでは観賞用として庭や公園に多く植えられています。
写真は2枚共シェーンブルン宮殿に植えられているセイヨウサンザシで、
4月23日午前10:30頃に撮影したものです。
やはり去年より早く咲きました。
まだこれから咲こうとしている箇所もありますね。
開花時期は通常5~6月で、一重咲き、八重咲きで、濃いピンク色ですが、桃色、紅色もあります。
ウィーンの川沿いなどでは、野生のサンザシ(Weißdorn)が多く見られますが、
こちらの花の色は白です。
去年5月5日付の「ウィーン シェーンブルン宮殿の花」を御覧下さい。
シェーンブルン宮殿の黄色、空の青、そしてこのセイヨウサンザシのピンクと非常に美しいコントラストです。