ウィーンの街中には至る所に信号があります。
車用の信号は、もちろん、青→黄色→赤・・・と変わりますが、青になる時には
赤→黄色→青 と変わります。
歩行者用は基本的に同じですが、かなり早く赤になります。
場所によっては、普通の速さで横断していたら間に合わない信号もあります。
これですと、お年寄りや体の不自由な方は絶対に間に合いません。
でも、車は青になっても、もちろん渡り終わるまで待っています。
また歩行者用の信号は、押しボタン式も多くあります。
一見押しボタンに見えるのですが、
目の不自由な方のための押しボタンもかなり見られます。
日本のようなスクランブル交差点はありません。
ウィーンで生活をしていると色々な事が見えてきます。
ヨーロッパ人男性はアジア人女性に興味がある場合が多いです。
国でいえば。日本、フィリピン、タイ、中国等でしょうか。
単純に、彼らにとって、アジア人女性は、良妻賢母的なイメージなのでしょうか。
料理をしたり、掃除もしっかりと・・・尽くしてくれるようなイメージですね。
逆にヨーロッパ人女性は基本的に強いと思います。意思もしっかり主張し、仕事も持ち、自ら地に足をつけて生きて行き、男女平等がしっかりしてる・・・という感じでしょうか。
タイとかフィリピン女性を現地に探しに行って、オーストリアに連れて来る男性が多いのには驚きました。
アジア人女性とヨーロッパ人男性の組み合わせは、その逆のアジア人男性と
ヨーロッパ人女性と比べると、圧倒的に多いです。
ウィーンは、地下鉄、路面電車、路線バス、
国鉄と全てを共通券で乗れるシステムです。
事前にチケットを購入し、通常は最初の乗り物で刻印します。
地下鉄は入口に、路面電、バスは車内に写真のような刻印機があります。
日本のように改札があるわけではありません。
地元の人は、涼しい顔して乗り降りしていますので皆さんタダ乗りしているように見えてしまいますが、大抵定期を持っています。
ウィーンで一番長い定期は一年定期です。
それなりに検札も行われています。
現在は2種類のパターンで遭遇します。
パターン1
私服の係りがいて、突然2~3人で車内で検札を始めます。通常は車内の前後からやってきます。その時には今まで隠していた、ウィーン市交通局のバッジを見せて正規に検札することをアピールします。
この時、少し車内の空気が変わります。
パターン2
地下鉄の駅の入口で、乗車後出口に来る人々に対して行われ、多い時は10人ぐらいの係りが待ち構えてています。
この時に不正乗車と判断された場合は、罰金103ユーロを請求されます。
でも・・・
ずっとタダ乗りしていて、見つかった時に罰金を払っても、罰金の方が安く済む・・・なんて話も聞いたことがあります。
しかし、これはモラルの問題ですね。
もちろん実際に見つかって罰金を取られている光景は何度も見たことがありますが、ほぼ全ての人はちゃんと正規に利用しています。
検札に遭遇する割合は1日に2回のこともあれば1ヶ月見ないこともあります。
また、ウィーン年間定期は、365ユーロですから安いです。
こちらの料理はよくしょっぱい・・・と言われることがあります。
確かに日本と比べると味がしっかりとしていることが多いです。
これは基本的にヨーロッパ人の味覚が、辛いのか、甘いのかがハッキリしていることがひとつの理由でしょう。
日本でよく食べる煮物のように、甘辛い・・・こういう味はあまり理解されないような気がします。
辛いのか、甘いのかハッキリしろ・・・みたいな傾向です。
別の理由として、このオーストリアには有名なアルプスの岩塩があり、一般家庭で使われています。
この塩の本来の濃度がかなり高いんですね。
紀元前800年頃、ザルツカンマーグートのハルシュタットでは塩の採掘が頻繁に行われました。そこは現在でも塩が採掘されている美しい世界遺産に登録されている場所です。
私はウィーンの街がとにかく好きだったのでここに住み始めましたが、まさかここで仕事をしようとは思ってもみませんでした。
観光で見ている部分と、実際に住むこととはかなりのギャップが私の場合はありました。
観光ではいい所しか見られませんが、住むとなると、滞在許可等の色々な問題が出てきます。どの国もそうだと思いますが、外国人という立場で居住するわけですから、
その国の法律に従って、当局との様々なやりとりをしなければなりません。
住居探し、銀行口座開設、住民登録、滞在許可申請、労働許可・・・等全てがめんどうですし、運もあります。
しかし、その国の言葉(ここはドイツ語ですが)をできるだけ準備してくれば、人をあまり頼ることなく自ら解決していけると思いました。
現地に来てからでも何とかなる・・・なんて思っていると、2年ぐらいは無駄にしてしまうのではないでしょうか?
私は日本での社会人時代に通勤電車の中でドイツ語を始め、
何とか日常会話ができるレベルでウィーンに住み始めました。
当初ウィーン滞在が2年と決めていたので、時間を有効に使いたかったからです。
でもそれは結果的に大きな財産として残っています。