2012年はクリムト生誕150周年記念の年で、それをきっかけに団体ツアーの多くはベルヴェデーレ宮殿に入場観光することが非常に多くなりました。
ベルヴェデーレ宮殿はオーストリアギャラリーという美術館になっていて、19,20世紀の作品を中心に中世、バロック、現代と幅広く展示されています。
年々このオーストリアギャラリーの訪問者が増加していて、2018年の8月からはクリムトコーナーへの入場制限も導入されましたが、それは現時点では行われていません。
2019年の7月から10名以上の場合はシェーンブルン宮殿同様、時間予約制度が導入されました。
団体ツアーの場合は制約が多くなりました。
頻繁に混雑するようになり、入場するにも相当な待ち時間が必要となる場合が多くなりました。
以前と比べるとクリムトの人気も日本でもかなり高まっていると思います。
さて、今日のウィーンこぼれ話のコーナーではなぜか今まで取り上げなかったクリムトのお墓を紹介します。
こちらがクリムトのお墓です。
いかがですか?
黄金と装飾の代表作と比べるとかなりシンプルなお墓ですね。
クリムトは1862年7月14日にシェーンブルン宮殿に結構近い、現在のウィーン14区のLinzerstraße 247番地で、7人兄弟の2番目として生まれています。
クリムトの父は彫金師であり、クリムトは父の後ろ姿を見ながら育ち、芸術的な素質を受け継いだ彼は家計を助けるために工芸美術学校に14歳で入学します。
そこでラウフベルガ―のもとで7年間様々な分野を学びました。
同じ学校に入って来た弟のエルンスト・クリムトと学友フランツ・マッチュと3人でカンパニーを結成し、劇場の天井画などの仕事を請け負います。
売れていたクリムトは様々な上流中産階級から多くの注文が入り、経済的にも潤っていました。
彼は1918年2月6日に脳梗塞(脳卒中)で亡くなりました。
クリムトのお墓はヒーツィング墓地のメイン入り口から入るとかなり奥にあります。
ヒーツィング墓地はシェーンブルン宮殿庭園の隣に位置しているのですが、少し行き辛い所にあります。
一番分かりやすいのは地下鉄4号線のHiezing駅から徒歩、またはバス(56A,56B,58A,58B)でアクセスできます。
徒歩だとメインゲートまでは1.5kmもあり、25分近くかかります。
メインゲートに行く手前に第3門があるので、そこから入ればクリムトのお墓までは少し近くなります。
クリムトのお墓は名誉市民のお墓(Ehrengrab)と思われやすいのですが、実際はEhrenhalber gewidmetes Grabになるので、中央墓地にある音楽家のお墓などとはちょっと違った扱いになります。
このお墓は1962年 Josef Schagerl juniorによって製作されたもので、キャンバスを立てていることをイメージしています。