今日から12月ですね。
まもなくアドヴェント習慣に入り、クリスマスがもっと身近に感じられます。
クリスマスグッズ、クリスマス市、イルミネーション、ショーウィンドゥの飾り・・・年間を通して生活の中で一番重要なのはクリスマスです。
クリスマスはキリストが生まれたことを祝うためのもの、ヨーロッパ文化はこのキリスト教なくしては語れません。
キリスト教があったからこそ、様々な建築、絵画、音楽等が生まれ、また現在の人々の生活にも大きな影響を与えています。
キリスト教の世界が少しでも見えてくると、ヨーロッパの街が違って見えてきますし、教会、修道院、宗教画などがとてもおもしろくなります。
実際にキリスト教と言っても様々な宗派があるわけですが、ここではあくまでも成り立ちに触れます。
キリスト教はユダヤ教から派生したものです。
古代オリエントでは唯一の一神教の民族であるヘブライ民族からユダヤ教は生まれます。
民族的苦難が多く続くことから、ヘブライ人だけが信じれば救われる・・・という排他的な考え方が生まれます。
紀元前13世紀中頃にモーセが神ヤハヴェとの契約を結びます。
紀元前13世紀頃のイスラエルの民がパレスチナに定住し、紀元前1021年に12部族から成り立つイスラエル王国が作られます。
そのイスラエル王国が紀元前922年頃、北と南に分裂し、北イスラエルは紀元前722年アッシリアの滅ぼされ、その時に10部族がなくなります。
その南側がユダ王国となり、首都はエルサレムでした。
そのユダ王国も紀元前587年、新バビロニアに滅ぼされ、そのバビロン捕囚約50年の間にイスラエル民族の考え方、言ってみればユダヤ教のベースができました。
紀元前539年にユダ王国の人々はユダヤに帰国を許され、ユダヤ教を発展させていき、エルサレムに再度神殿が作られるわけです。
最初の神殿は紀元前10世紀頃、ソロモン王によって作られ、これが新バビロニアに紀元前587年に破壊され、その後ほぼ同じ場所に再建されることになります。
ユダヤとは、ユダ族が居住していた地域の名前です。
旧約聖書は紀元前1000年頃から書き始められているようですが、正式に決定されたのは、紀元後90年頃です。
ただ・・・
ユダヤ教の中では「旧約」と言われていません。
そのユダヤ教に新しい風を吹き込んだのがイエス・キリストでした。
キリストは紀元前4年頃生まれたとされています。
ユダヤ教の中でも絶望感が漂い、救世主の登場が待ち望まれていました。
そのイエスが救世主(メシア)として、民衆達を導いていきます。
使徒を始め様々な支持者がいた反面、古代ローマ帝国に反逆を企てる人物だと見なされて、結局捕らえられ、磔の判断を下されます。
金曜日の午前中に磔にされ、その日の午後15:00ぐらいにはこの世を去ったとされ、翌々日の日曜日に復活することから必ず復活祭は日曜日です。
この磔の前日の木曜日がいわゆる後の人が名付けた「最後の晩餐」です。
ここでイエスによって、神との契約が更新された・・・という考え方から新しい契約なので、「新約」と言われ、そこから書かれた聖書は「新約聖書」とカトリックでは呼んでいます。
ちなみにこちらで復活祭はドイツ語で「Ostern」オステルンと言われ、いわゆるイースターですから、復活祭という訳は厳密には正しくありません。
地上で40日間魂として生きたイエスは天に昇天します。
これがキリスト昇天ですね。
その10日後、弟子たちの前に現れて、(これは精霊降臨祭です)様々な言語を伝え、キリスト教が始まっていく・・・とされています。
イエスが亡くなってからすぐに、直弟子達によってす色々な方向に教えが伝えられていきました。
紀元後1世紀終わりまでを原始教会と呼び、そこから先は初期キリスト教と呼んでいます。
当初は「ユダヤ人キリスト教徒」という現在から見ればちょっと矛盾した感もありましたが、結果的にキリスト教はユダヤ教から離れなければいけない・・・という空気が徐々に高まってきました。
有名な紀元66年~70年のユダヤ戦争によって、キリスト教は完全にユダヤ教から離れて、基礎ができたわけです。
この原始教会時代、
紀元50年頃に「パウロの手紙」、
紀元70年頃に「マルコ書」、
紀元80年代に「マタイ書」と「ルカ書」、
紀元90年代に「ヨハネ書」といった福音書が書かれています。
初期キリスト教時代はローマ帝国でも迫害の連続でしたが、めげず活動が続けられ、しかし同時に多数の殉教者も出しました。
ついにローマのコンスタンティヌス帝が313年ミラノ勅令により、キリスト教を公認しました。
これは帝国にあまりに多くのキリスト教徒がすでに広がっており、キリスト教を認めなければ、帝国をまとめることができない・・・とおそらく考えたからでしょう。
そこからキリスト教は堂々と活動を許され、公に教会建築もされていきます。
コンスタンティヌス帝はその後まもなくの330年、都をローマから、ビザンティオンに移します。
この街は現在のイスタンブールで、当時コンスタンティノープルと呼ばれました。
ここを首都として、更にキリスト教が発展をしていきます。
その後392年には、テオドシウス帝はキリスト教をローマ帝国の国教としました。
後の395年、ローマ帝国が西と東に分裂し、西ローマ帝国は476年、ゲルマン民族によって崩壊しますが、東ローマ帝国は、オスマントルコに滅亡させられる1453年まで、1000年以上も続き、ある意味では正統にキリスト教を守っていきました。
昔の名称ビザティオンから東ローマ帝国はビザンティン帝国とも言われますね。
なのでそこからの基本となるキリスト教は東方教会、俗にオーソドクスと呼ばれ、現在のギリシャ正教に通じる流れが形成され、いわゆる正統派としてキリスト教の習慣を受け継いでいるわけです。
原始教会、初期キリスト教時代には地中海沿岸には5つの総主教座がありました。
それはエルサレム、コンスタンティノープル、アンティオキア、アレクサンドリア、ローマの5都市で、唯一西側がローマだったわけです。
そこから西側ローマカトリックは東側とは常に緊張感を保ち、西側政治勢力と結びついて、ある意味では独自に発展していきました。
ここまでちょっと簡単にキリスト教の成り立ちを書きましたが、一言でキリスト教と言っても、ここ2000年の間には様々な宗派が誕生していますから、実際はとても複雑です。
ここオーストリアは、ハプスブルグ家がほとんどカトリックを守ってきたことから、圧倒的にローマカトリックが多いです。
極論を言ってしまえば、キリスト教も、その母体となったユダヤ教も基本は人為的に作られたものであり、神様が聖書を書いて残した・・・なんてことはあり得ません。
そして時を重ねながら今日の形になった宗教であり、これはキリスト教やユダヤ教が始まるもっと前の時代、私達人類の先輩達が、生活の中での信仰心というものを自然に生み出していたわけです。
特に有名な古い神様は地母神です。
地母神は万物を生み出す力、生と死、豊穣や凶作、天界と冥界などを司る力を握っていました。
母なる大地とも言いますね。
このオーストリアで見つかっている考古学上大変重要なヴィレンドルフのヴィーナスはその典型的な例です。