ウィーンフィル ニューイヤーコンサート(2023年)覚え書き

今日は年明け恒例のウィーンフィル ニューイヤーコンサートの覚え書きです。

ニューイヤーコンサートが始まるのはウィーン時間の午前中11:15、日本だと19:15ですね。

私は身内の不幸があり、今年は26年ぶりで日本で年越しを迎え、正月どころではなかったのでウィーンに帰って来てから録画しておいたニューイヤーコンサートを観ました。

いつもならライブで観ていたので、何か変な感じでしたね。

 

個人的にニューイヤーコンサートは過去LIVEで見たこともありますが、御存知の通りチケットの値段だって普通のコンサートよりも正規価格でも遥かに高いですし、入手困難ですからね・・・。

でも毎年11月ぐらいから地元の色々なチケット取り扱い業者から「うちはニューイヤーのチケットが数枚あるから行きたい人がいれば売れますので連絡下さい」というような電話やメッセージが私の所に届きます。

でもその時の提示価格は正規価格よりも倍ぐらいの高さになっています。

そのような業者ルートから数枚であれば比較的簡単にチケットは入手できますので行く気になればほぼ確実に行けますが、価値観の問題ですからね~。

2.000ユーロ以上を一枚のチケットに払うか・・・ということですね。

 

さて、テレビで見るニューイヤーコンサートは楽しいです。

途中に色々な演出があり、会場では見ることができない映像が見られますからね。


今年のニューイヤーコンサートは65回目の生中継で、大きなテーマはちょうど150年前の1873年(明治6年)ウィーンで開かれた世界万博でした。

 

今年もバロック時代の作曲家マルク=アントワーヌ・シャルパンティエ(1643-1704)のEurovisionから始まり、リンク道路付近を上から見た映像から見て、シュテファン大聖堂が最初に登場し、カメラが移動してホテルインペリアル、そして楽友協会ホールの建物が映し出され、この正面入り口の扉が開いて視聴者も中に入って行くようなお決まりで始まりました。

 

2021年はリッカルド・ムーティー無観客で行われ、2022年はダニエル・バレンボイム、観客数1.000人まで、聴衆はマスク着用、2G+ 規則でしたが、今年は2020年までと同様、制限なしのニューイヤーコンサートとなりました。

 

今年は地元オーストリアの指揮者Franz Welser-Möstでした。

彼は1960年にオーストリアのリンツで生まれ、音楽が溢れる家庭で育ち、音楽Gymnasiumで作曲とバイオリンを学びますが、交通事故に遭遇し、バイオリンをあきらめて指揮に転向しました。

ミュンヘンで学んだ後、オーストリアのユーゲントオーケストラ、スウェーデンやスイスのオーケストラを経て、1990年には29歳でロンドンフィルの首席指揮者となります。

その後はチューリッヒオペラハウスの音楽監督、2010年からはウィーン国立オペラ座の音楽総監督でもあり、ウィーンフィルとは1998年以来からの関係で、今回は2011年、2013年と今年で3回目のニューイヤーコンサートとなりました。

 


今年の最初の演目はEduard Strauß Wer tanzt mit? Polka schnell, op. 251 で始まり、

2.Josef Strauß Heldengedichte. Walzer, op. 87

3.Johann Strauß II. Zigeunerbaron-Quadrille, op. 422

4.Carl Michael Ziehrer In lauschiger Nacht. Walzer, op. 488

5.Johann Strauß II. Frisch heran! Polka schnell, op. 386

 

1曲目、2曲目、3曲目はそれぞれヨハン・シュトラウス兄弟の曲ですね

この後恒例の休憩です。


この間にお茶の間に流される映像が毎年皆さんが楽しみにしているんですね。

今年は "ウィーン世界万博" というテーマで、ウィーン世界万博から150周年記念です。

ウィーン世界万博は1873年(明治6年)にウィーンのプラターで開かれ、233ヘクタール、35か国の参加国、730万の入場者数で、日本も明治の日本政府としての初めての公式参加となり、日本パビリオンもありました。

 

Möstさんが楽友協会の中を歩いて部屋に入っていくシーンから始まり、ピアノの上でウィーン世界万博の歴史書をめくります。

ウィーン万博のトレードマークは"Rotunde"という大きなドームで、当時としては世界最大の大きさです。

CGを駆使した映像でRotundeの中に私たちが誘い込まれて団員が音楽を奏でています。

歴史的写真が紹介され、中でも地元で有名な1937年の火災でRotundeが焼け落ちたことも取り上げられていました。

多くのパビリオンが登場し、当時の様子を偲ぶことができました。

再び現在に戻ってMöstさんが登場し、座って歴史書を眺めます。

この時にお茶が運ばれてきます。

テーブルの横にはウィーンでは誰もが知るレバーケーゼが置かれていたのが面白かったです。

現在のプラター公園が紹介され、また一角にあるFreudneauの競馬場の様子、プラターアトリエではそれぞれの写真に引き込まれて次の部屋へ移動する演出、大観覧車の前で地元の食べ物がたくさん並ぶ食事風景、最後はMöstさんが歴史書を閉じて部屋を出た所で終わりました。

Möstさんが150年前のウィーン世界万博を私達に見せてくれたという演出でした。

 

このウィーン世界万博は、帝国の都ウィーンが経済的にも世界的に知られるきっかけともなりました。

 


そして後半です。

 

6.Franz von Suppè Ouvertüre zur Operette „Isabella“

7.Josef Strauß Perlen der Liebe. Walzer, op. 39

ここではウィーン近郊にあるラクセンブルク城と庭園でウィーン国立オペラ座バレエ団によるバレエが流されました。

秋ごろに撮影されたのでしょうか。

黄葉の庭園が印象的でした。

ラクセンブルク城はマリア・テレジアが好んでカードゲームをした場所であり、悲劇のマイヤーリンクで知られるルドルフ皇太子が生まれた場所でもあります。

 

 

8.Josef Strauß Angelica-Polka. Polka française, op. 123

これはMöstさんの奥様Angelicaさんに捧げられたという案内がありました。

 

9.Eduard Strauß Auf und davon. Polka schnell, op. 73

ここでもラクセンブルク城でのバレエが流されました。

 

10.Josef Strauß Heiterer Muth. Polka française, op. 281 (Text: Anna Mabo)

この曲が演奏される前には、パイプオルガンの所にウィーン少年合唱団とウィーン少女合唱団が入り、オーケストラと共に素晴らしいハーモニーを楽しませてくれました。

ウィーン少年合唱団は今年525周年、ウィーン少女合唱団は2004年に設立され、8歳~15歳(テレビでは9歳~14歳と言ってましたが、おそらくこの時歌っていた子達の年齢だと思われます)の女の子達でウィーン少年合唱団と同じメソードで教育され、数年のうちにウィーン少年合唱団と同じGymnasiumに受け入れられることが決まっています。


 

11.Josef Strauß For ever. Polka schnell, op. 193

12.Josef Strauß Zeisserln. Walzer, op. 114

13.Josef Hellmesberger (Sohn) Glocken-Polka mit Galopp aus dem Ballett Excelsior

14.Josef Strauß Allegro fantastique. Orchesterfantasie, Anh. 26b

15.Josef Strauß Aquarellen. Walzer, op. 258

 

 

以上でオフィシャルプログラムは終了となり、アンコールに入ります。

 

 


 

アンコール1曲目は

16.Johann Strauß II.  Banditen Galopp op.378

 

そして美しき青きドナウの序奏が始まり・・・恒例の伝統通り、演奏がストップされMöstさんが世界の聴衆に向って挨拶を述べ、ウィーンフィルと新年おめでとう...Prosit Neujahr! の挨拶でした。

 

17.Johann Strauß II.  An der shcönen blauen Donau, Waltzer 0p.314

美しく青きドナウです。

 

最後はもちろん

18.Johan Strauss Vater  Radetzky-Marsch"    op.228  ラデツキー行進曲です。

 


ウィーンフィルのニューイヤーコンサートが行われる場所は楽友協会の黄金の間です。

このホールは世界で最も音響がいいホールのひとつで、ウィーンフィルの本拠地となっていて、私も年間を通してよくこのホールの案内をしていますが、ニューイヤーコンサートの時は花が飾られ綺麗に装飾されますから普段とは全く違います。

 

ニューイヤーコンサートは3回あるということはあまり知られていないようですね。

12月30日、31日、1月1日の3日間で、3日間とも同じ顔触れで同じ内容で行われますが、1月1日だけは世界に生中継で、また他の2日間から比べればチケットも高くなっています。

 

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートの始まりはクレメンス・クラウスの指揮で、1939年の大晦日でした。

つまりニューイヤーコンサートではなかったわけです。

しかし、次の年1940年大晦日と翌日1941年1月1日と2日続けてコンサートが行われ、その時からニューイヤーコンサートが始まったというわけです。

 

 

 

 

 

 

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