ウィーン市の紋章とその歴史

オーストリアはウィーンを含めて9つの州から成り立っているわけですが、それぞれの州にその州のシンボルとなる紋章(ワッペン)が存在しています。

実際は州だけでなく、オーストリアそれぞれの街にも独自の紋章が存在しています。

ウィーンの場合は23区で成り立っていますが、23区それぞれの区に歴史ある紋章があり、ウィーン市自体にもウィーン市の紋章があります。

例えば・・・ウィーンの花時計を御覧下さい。

このページの2枚目の写真のベンチ見られる赤地に白の十字架が入っているマークがウィーンのワッペンです。

このワッペンは街中を歩けば至る所に見られるはずです。

車のナンバープレートにも見られますね。

今日はこのウィーン市の紋章について歴史的背景をお話ししましょう。

 

 

こちらはウィーン市の正式な紋章です。

一般的には十字架だけを目にすることが多いと思いますが、お役所などの行政が関わる場合には単頭の鷲が描かれて、その鷲の真ん中に十字架が描かれます。

 


<ウィーン市紋章の歴史>

 

ウィーンの一番古い紋章は1228年の記録に登場していて、そこではおそらくバーべンベルク時代から受け継がれた鷲だけがデザインされていました。

十字架マークはまだ登場していません。

13世紀の終わりになって十字架が登場していますが、紋章ではなく硬貨に見られます。

1278年の硬貨には鷲の真ん中に十字架マークが見られます。

十字架はウィーンの人も多く参戦した十字軍からではないかと推定されています。

1327年になって初めて鷲と十字架のコンビネーションが確認されています。

 

1461年9月26日に皇帝フリードリヒ3世が、双頭の鷲と皇帝の帝冠をデザインした紋章をウィーン市に与えていますが、十字架はありませんでした。

1463年皇帝への不信感よりその特権を失っていますが、1465年にはウィーン市は皇帝と和解し再びこの特権を取り戻しました。

この時には十字架が確認されています。

これが1918年、帝国が解体され、そして1925年まで続いて行くことになります。

1925年の2月、長い議論の末、オフィシャルな紋章が決められ、同時に双頭の鷲が14世紀の時と同様に単頭の鷲となり現在に至っています。

 

1934年~1945年のナチス時代には双頭の鷲が復活しますが、第2次世界大戦終了後、また単頭の鷲に戻されました。

 

 

 

 

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