ウィーンフィル ニューイヤーコンサート(2021年)覚え書き

うちは元旦の夕食の時にウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見る習慣があります。

と言ってもニューイヤーコンサートが始まるのはウィーン時間の午前中11:15ですから私は毎年、年末から年明けにかけては大晦日や元旦も仕事をしてますのでニューイヤーコンサートの時は観光しています。

まさにニューイヤーコンサート中に楽友協会ホールの前を通ることもよくありますね。

そのため録画しておいたものを夜見るわけですからLIVEで見ているわけではありません。

しかし、今年は本当に珍しく家にいたので、一番いい席で(笑)LIVEで見ることができました。

 

個人的にニューイヤーコンサートは過去LIVEで見たこともありますが、御存知の通りチケットの値段だって普通のコンサートよりも正規価格でも遥かに高いですし、入手困難ですからね・・・。

でも毎年11月ぐらいから地元の色々なチケット取り扱い業者から「うちはニューイヤーのチケットが数枚あるから行きたい人がいれば売れますので連絡下さい」というような電話やメッセージが私の所に届きます。

でもその時の提示価格は正規価格よりも倍ぐらいの高さになっています。

そのような業者ルートから数枚であれば比較的簡単にチケットは入手できますので行く気になればほぼ確実に行けますが、価値観の問題ですからね~。

2.000ユーロ以上を一枚のチケットに払うか・・・ということですね。

 

さて、テレビで見るニューイヤーコンサートはおもしろいです。

途中に色々な演出があり、会場では見ることができない映像が見られます。

今日はウィーンフィルニューイヤーコンサート2021年の覚え書きです。


今年もニューイヤーコンサートはリンク道路付近を上から見た映像から始まって、シュテファン大聖堂が最初に登場し、カメラが移動してホテルインペリアル、そして楽友協会ホールの建物が映し出され、この正面入り口の扉が開いて視聴者も中に入って行くような演出で始まりました。

 

会場を舞台に向かっての映像から始まりましたが、今年は無観客で行われました。

何と言っても現在3度目のロックダウン中ですからね。

毎年印象的な美しい花は例年通り舞台周辺には飾られていました。

これらの花が幾度となくアップで登場しました。

去年はニューイヤーを振るのは初めてであったラトビア出身のAndris Nelsonsさんでした。

彼は1978年生まれ、ウィーンフィルとの関係は2010年より続いていて、定期演奏会、海外公演、ザルツブルク音楽祭など多くの共演をしています。

今年は対照的にナポリ生まれの今年80歳になる巨匠Riccardo Muti(リッカルド・ムーティー)でした。

ムーティとウィーンフィルの関係は長く、ムーティはウィーンフィルの名誉団員にもなっていて、ニューイヤーコンサートを振るのは過去1993年、1997年、2000年、2004年、2018年と今年6回目です。

しかもムーティとウィーンフィルの関係は今年で50周年を迎えるということです。

 

また、今年は無観客で行われましたが、全世界からのファンの皆さん7.000人がオンラインでこのニューイヤーコンサートを支えてくれて、途中彼らの写真が紹介され、画面越しでの拍手も中継されました。

 

今年の最初の演目は

 

Franz von  Suppè の Fastinitza Marschから始まり、

2曲目はJohan Strauss II.Schallwellen, Walzer, (音波)op. 148

この時にはウィーン技術博物館Phono Museum から蓄音機やオルゴール、自動演奏装置などが映像で登場しました。

 

3.Johann Strauß II. Niko-Polka, op. 228

4.Josef Strauß Ohne Sorgen, Polka schnell, op. 271

5.Carl Zeller Grubenlichter, Walzer

6.Carl Millöcker In Saus und Braus. Galopp

 

と続き、その後恒例の休憩となります。 


この間にお茶の間に流される映像が毎年評判がいいんですね。

今年は "Happy Birthday Burgenland" 1921-2021というテーマです。

BurgenlandはEisenstadtを州都とするオーストリア9つある州のひとつですが、1921年になってからオーストリアに組み込まれたかつてのハンガリー領だった所で、ヨーロッパ最大のステップ湖Neusiedler Seeがあり、ワイン産業でも知られているオーストリアの他とは違うハンガリー的な色を感じる州です。

今年はその100周年記念ということになりますね。

 

ウィーンフィルメンバーの音楽をバックに、1人の測量士が当時のスタイルの車で走って来て、Burgenland州を調べて素朴な生活場面の写真を撮るシーンが多く登場します。

もちろん映像は全てBurgenland州で、ゆかりある音楽家のハイドン、リストが登場、ハイドンの弦楽四重奏Op.76の第2楽章の有名な通称"皇帝賛歌"がハイドンザールでも演奏されていました。

Eisenstadt、ハイドン博物館ベルク教会、リストの生家があるRaiding、Burg Lockenhaus、Schloss Tabor、

Burgruine Landsee、Kohfidisch、Neusiedler See、ルストの街とコウノトリ、ぶどう畑など改めてBurgenlandはいい所だなと感じさせてくれる映像でした。

 


後半の最初にはウィーンフィル代表のDaniel Froschauerさんからの挨拶がありました。

 

7.Franz von Suppè Ouvertüre zu "Dichter und Bauer"

8.Karl Komzák Bad'ner Mad'ln. Walzer, op. 257 

この時はウィーン近郊の温泉町バーデンが映像で登場しました。

メイン広場、劇場、Kurpark、ベートーヴェンの第9作曲の家などが映像で紹介されました。

 

9.Josef Strauß Margherita-Polka, op. 244ここではウィーン中心部のロースハウスでのウィーン国立オペラ座バレエ団のバレエが流されました。

 

10.Johann Strauß I. Venetianer-Galopp, op. 74

11.Johann Strauß II. Frühlingsstimmen. Walzer,(春の声) op. 410

ここではウィーン9区のリヒテンシュタイン宮殿でのウィーン国立オペラ座バレエ団による素晴らしいバレエを見ることができました。

この春の声は1883年にこの楽友協会ホールで初演されています。

 

12.Johann Strauß II. Im Krapfenwaldl. Polka française, op. 336

13.Johann Strauß II. Neue Melodien-Quadrille. op. 254

14.Johann Strauß II. Kaiser-Walzer, (皇帝円舞曲)op. 437

この時にはウィーンの王宮、カイザーアパートメント、シシィ博物館銀器博物館が登場しました。

かつての帝国の都・・・ウィーンを象徴する内容となっていました。

 

15.Johann Strauß II. Stürmisch in Lieb' und Tanz. Polka schnell, op. 393

 

以上でオフィシャルプログラムは終了となり、アンコールに入ります。

 


 

アンコール1曲目は

16.Johann Strauß II. Frioso-Pola  op.260

 

その後ムーティさんがマイクを取って挨拶を述べました。

今年は聴衆がいないため、美しき青きドナウが始まる時の例の伝統はありませんでした。

 

17.Johann Strauß II.  An der shcönen blauen Donau, Waltzer 0p.314

美しく青きドナウです。

 

最後はもちろん

18.Johan Strauss Vater  Radetzky-Marsch"    op.228  ラデツキー行進曲です。

 

今年のニューイヤーは無観客で異例でした。

演奏が終わった後の拍手、咳払い、ブラボーコールこそはありませんでしたが、ウィーンフィルと長年友好な関係にあるムーティとの一体感とお互いの信頼感、このコロナに負けないように世界中の皆さんに音楽を届けようという気持ちが十分に伝わってきた今年のニューイヤーコンサートだったと思います。

 

もう25年以上も前に、国立オペラ座界隈でムーティが歩いていたのを見つけ、声をかけて握手をしてもらい、サインをもらったことを今でも覚えています。


ウィーンフィルのニューイヤーコンサートが行われる場所は楽友協会の黄金の間です。

このホールは世界で最も音響がいいホールのひとつで、ウィーンフィルの本拠地となっていて、私も年間を通してよくこのホールの案内をしていますが、ニューイヤーコンサートの時は花が飾られ綺麗に装飾されますから普段とは全く違います。

 

ニューイヤーコンサートは3回あるということはあまり知られていないようですね。

12月30日、31日、1月1日の3日間で、3日間とも同じ顔触れで同じ内容で行われますが、1月1日だけは世界に生中継で、また他の2日間から比べればチケットも高くなっています。

今回はもちろん3日間共、聴衆無しで演奏されました。

 

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートの始まりはクレメンス・クラウスの指揮で、1939年の大晦日でした。

つまりニューイヤーコンサートではなかったわけです。

しかし、次の年1940年大晦日と翌日1941年1月1日と2日続けてコンサートが行われ、その時からニューイヤーコンサートが始まったというわけです。

 

 

 

 

 

 

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