石畳に見られるウィーン市のワッペンとその歴史

早いもので今日で6月も終わりです。

週末は30℃を越えて暑かったですが、昨日は気温が下がり涼しい夜で寝やすかったですね。

 

オーストリアはウィーンを含めて9つの州から成り立っているわけですが、それぞれの州にその州のシンボルとなるワッペンが存在しています。

実際は州だけでなく、オーストリアそれぞれの街にどくじのワッペンが存在しています。

ウィーンの場合は23区で成り立っていますが、23区それぞれの区に歴史あるワッペンがあり、ウィーン市自体にもウィーン市のワッペンがあります。

例えば・・・ウィーンの花時計を御覧下さい。

このページの2枚目の写真のベンチ見られる赤地に白の十字架が入っているマークがウィーンのワッペンです。

このワッペンは街中を歩けば至る所に見られるはずです。

例えば車のナンバープレートを見て下さい。

今日はそのワッペンが石畳に施されているというちょっと珍しいものを紹介します。

 

 

こちらはウィーンの街の、ある一角の歩道です。

両側通行の車道の横にある歩道で、歩道でもこの部分には石畳が施されています。

赤地に白い十字架マークが見られ、見間違えることがないウィーン市のワッペンです。

ほぼ正方形のサイコロのような石が綺麗にはめ込まれていますね。

 

 

こちらはちょっと別の角度から眺めています。

ウィーン市のワッペンの通り、(当たり前ですが)縦長になっています。

 


<ウィーン市紋章の歴史>

 

ウィーンの一番古いワッペンは1228年の記録に登場していて、そこではおそらくバーべンベルク時代から受け継がれた鷲だけがデザインされていました。

十字架マークはまだ登場していません。

13世紀の終わりになって十字架が登場していますが、ワッペンではなく硬貨に見られます。

1278年の硬貨には鷲の真ん中に十字架マークが見られます。

十字架はウィーンの人も多く参戦した十字軍からではないかと推定されています。

1327年になって初めて鷲と十字架のコンビネーションが確認されています。

 

1461年9月26日に皇帝フリードリヒ3世が、双頭の鷲と皇帝の帝冠をデザインした紋章をウィーン市に与えていますが、十字架はありませんでした。

1463年皇帝への不信感よりその特権を失っていますが、1465年にはウィーン市は皇帝と和解し再びこの特権を取り戻しました。

この時には十字架が確認されています。

これが1918年、帝国が解体され、そして1925年まで続いて行くことになります。

1925年の2月、長い議論の末、オフィシャルなワッペンが決められ、同時に双頭の鷲が14世紀の時と同様に単頭の鷲となり現在に至っています。

 

1934年~1945年のナチス時代には双頭の鷲が復活しますが、第2次世界大戦終了後、また単頭の鷲に戻されました。

 


 

上の写真は私のオーストリア国家公認ガイドとしての労働許可証で、現在でも使用されているウィーン市のシンボルが押されていますね。

単頭の鷲の真ん中にはその十字架が見られます。

 

 

 

 

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