街の様子 2

6月4日より隣国からの入国時の検査及び自己隔離措置をイタリアを除き以降停止することも発表され、6月16日以降は特定の31か国(以下特定国一覧参照)からの入国制限の解除となり、21日からスペインに対しても解除されました。

 

先日6月15日(月)からマスク着用義務が緩和されていて、通常の生活スタイルに戻りつつあります。

しかし、オーストリアでの新たな感染者数はゼロになったわけではありません。

実際、ウィーン以外の8つの州においての新たな感染者数は0~2人程度ですが、ウィーンはまだ10~30人という日が続いています。

マスクをしながら歩く人の姿が少なくなっていて、家族ではなくても知り合い同士ならかなり近い距離で接している姿が多く見られるようになりました。

 

今日はマスク着用義務が緩和された後のウィーンの街その2です。

 

こちらはウィーンに詳しい方であれば見た瞬間にどこだかお分かりになるでしょう。ウィーンの旧市街地の中で、建物に囲まれている広場としては最も大きなAm Hofです。

長さ110mx60m(短い所は約30m)もあるんですね。

歴史も古くウィーンがローマ時代にヴィンドボナと呼ばれていた頃から存在していた部分で、中世のバーベンベルク王朝時代1155年~1156年にウィーンに宮廷を移したハインリヒ2世がここに居城を建設させています。

この時は偶然にも歩いている人がほとんどいませんでした。

実際ここは私が立っている辺りが人の行き来が多く、TabakやBank Austriaなどがあります。

ここにはホテルPark Hyattがあり、もちろん営業を再開していましたがいつもと比べるとお客さんの数は少なさそうでした。

タクシースタンドもあるんですけど、人が集まることを意識的に避けるため公共交通機関ではなくタクシーを利用する人が多くいるそうです。


こちらは先程のAm Hofからシュテファン大聖堂の方にちょっと近づいた所にあるBognergasseです。

ここはエンゲル薬局がありますね。

ここもヴィンドボナのローマ時代、南の境界線にあたる所で、写真の右後方側にはTuchlaubenという通りがありますが、その入り口辺りにローマ時代の城門のような入口のひとつがありました。

その入り口は中世のバーべンベルク王朝の頃には"Peilertor"と呼べれ、1732年に取り壊されます。

ここはある意味ではコールマルクトの延長的なブランド街で、「Goldenes Quartier」(ゴルデネス・クヴァルティーア)と呼ばれています。

 

暗くて分かりづらいですが、左側にはaidaと地元で知られているレストランZum Schwarzen Kameel のテラスが隣同士になっていて、多くの人が座っています。

 

マスク着用義務が緩和され多くの人が社会が普通に動き始めていることから、もう大丈夫だろう・・・と軽視しているようですが、中には慎重に行動している人もまだまだ多く、両極端のような空気を感じます。

 

 

 

 

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