ウィーンは"音楽の都"とよく形容されています。
これだけの音楽家が足跡を残した街は他にはないでしょう。
ウィーンは音楽だけをテーマにしても見切れません。
このコーナーでもすでに数え切れない程音楽家について話題にしましたが、今日は今年生誕250周年であるベートーヴェンの命日ということもあり地元ではよく知られた、しかし観光では皆さんとはまず訪れることがないベートーヴェンゆかりある公園をお届けします。
こちらの公園はウィーン18区にあるSchubertpark(シューベルト公園)です。
公園の名前からして、シューベルトですからきっとシューベルトにゆかりある公園だろうなということは想像がつきます。
この公園はもともと Währinger Ortsfriedhof(ヴェーリンガー・オルツフリードホーフ)という墓地でした。
この墓地は1769年2月24日~1873年4月26日まで100年以上使われ、この地域で亡くなった人々が埋葬されてきました。
その後この墓地はウィーン市によって1924年から1925年にかけて公園に生まれ変わりました。
左は現在の公園の雰囲気で、この時期なので緑がまだ豊かではありません。
公園の路面電車が走る通り側の入口には右に見られる記念碑があります。
この公園になる前、つまりWähringer Ortsfriedhof時代に、ここにベートーヴェンとシューベルトが埋葬されました。
現在でもこの公園には上の写真に見られるようにベートーヴェンとシューベルトが当時ここに埋葬された時のお墓の石が残されています。
ベートーヴェンは1827年3月26日、シューベルトは1828年11月19日にウィーンで亡くなっています。
ベートーヴェンが亡くなった翌年に、シューベルトがこの世を去ることになります。
ベートーヴェンを尊敬していたシューベルトの希望もあって、ベートーヴェンのそばに埋葬されることになるわけです。
1874年11月1日に後に世界的に知られることになる中央墓地がオープンします。
御存知の通り、ベートーヴェンもシューベルトも1888年にここに移されて、現在でも眠っています。
2人の当時のお墓を別々に掲載しましたが、実際このシューベルト公園に来ると、この写真に見られるようにベートーヴェンとシューベルトはほぼ隣同士に埋葬されたことがわかります。
壁には記念プレートがはめ込まれていて、ベートーヴェンとシューベルトは最初にここに埋葬されたと記されています。
日本のここを紹介しているガイドブックなどでは、"ヴェーリンガー墓地"に2人は最初埋葬されたとよく書かれていますが、これは厳密には違います。
別の場所にAllgemeiner Währinger Friedhofが存在していて、それをこちらではヴェーリンガー墓地と呼んでいるので、ここは前述したように" Währinger Ortsfriedhof "です。
Allgemeiner Währinger Friedhofと Währinger Ortsfriedhof はどちらも地域は比較的近いですが、それぞれ別の墓地です。
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