国立オペラ座の舞踏会も今週の木曜日に終わり、週明けの火曜日がFaschingsdienstag・・・謝肉祭のクライマックスです。
謝肉祭はイエス・キリストが磔になり、そして復活するまでの厳粛な時がやってくるのでそれに伴って断食を・・・その前にバカ騒ぎをしようじゃないか・・・という意味があるわけです。
場所によっては昨日の11月11日11時11分から謝肉祭が始まるという習慣もありますが、これは19世紀以降に生まれた習慣です。
実際にウィーンで生活をしていると1月6日の聖三王の日が過ぎるまではあまり謝肉祭という雰囲気にはなりません。
このFaschingnの時期には"Faschingskrapfen"(ファッシングスクラプフェン)を食べる習慣があります。
Krapfenとは日本的に言えばドーナッツですが、真ん中に穴が空いている定番なドーナッツとは違っています。
むしろ形的にはあんドーナッツに近いのではないでしょうか?
"Faschingskrapfen"ですから謝肉祭ドーナッツとなるわけで、名前の通り謝肉祭時期に食べるものということですね。
Krapfen(クラプフェン)という名前はほぼ中世の頃から来たというのが定説で、当時は今のKipferl(いわゆるクロワッサン)の形をしたものがありました。
これを当時Krallenとも呼ばれ、Krallenは"かぎづめ"という意味があります。
このKralleが当時"Chrapho" とか "Krapfe" という呼び方をされていました。
この形は寒い時期に悪い魔女や幽霊から人間を守るための意味がありました。
しかし、どの地域からどのようにして一番最初のKrapfenが生まれたかはハッキリとはしていませんが、いくつかの説があります。
①
古代エジプトでは油の中に浮かせたパンを作ったこと。
古代エジプトのあるお墓から Krapfenに非常によく似たものが見つかっています。
②
古代ローマ人も "Globuli" という名で揚げパンを作り、それを蜂蜜といっしょに食べたようです。
③
1200年頃に修道院でも"graphos"という名の揚げパンが存在しています。
④
このウィーンという街から始まったという説も存在しています。
Cäcilie Krapfというパン屋さんが17世紀の終わり(1690年頃)、 "Cillikugeln"というフルーツを入れたパンを製造した・・・彼女は怒りから自分の教科書に生地を投げつけた・・・でもこれがシュマルツ(動物性脂肪を融かして精製した食用油)の中に入ってしまたということです。
つまり偶然に起こったということですね。
このKrapfenは当時お金がない人々にも安くてある程度の栄養もあったので大変好まれていました。
宗教的に甘いパンは謝肉祭の後の四旬節の時にエネルギーを蓄えるもとして謝肉祭の時には特に推奨されました。
そこから"Faschingskrapfen"と呼ばれています。
Faschingskrapfenに必要な材料は・・・
小麦粉 500g、イースト40g、なまぬるい牛乳60ml、なまぬるい水60ml、卵黄3つ、卵2つ、砂糖60g、バニラシュガー、塩、ラム酒、バター60g、Marmelade(ジャム系で特に杏子がポピュラー)
これで20個のFaschingskrapfenが作れます。
オーストリアでは年間1億個のKrapfenが食べられているということで、その内半分はこのFasching時期です。
1人当たり12個~13個ぐらいの数になります。
スーパーやパン屋さんなどではこの時期必ず売られていますので、ウィーンに来たら是非食べてみて下さい。