ウィーンの街は1世紀~4世紀のローマ時代ヴィンドボナのという名前のドナウ河沿いに位置した重要な駐屯地でした。
現在でも旧市街ではローマ時代の跡を見ることができます。
そして中世の頃、バーべンベルク王朝の宮廷が12世紀半ばにウィーンに移されてからは現在の旧市街の基本的な街並みが形成されていきました。
その後ヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の終わりに近い頃の19世紀後半に、中世来の城壁が取り壊されて、現在に見られる有名なリンク道路が建設され、その周りには色々な建物が様々な様式で建てられていきました。
ヨーロッパは中世からの歴史ある街が多く存在し、いわゆる旧市街は迷路のようになっていることが多いですね。
ウィーンの旧市街もそうで、ケルントナー通り、グラーベン、コールマルクトの3つの歩行者天国を始め、色々な道が交差しています。
でも主要な通りからちょっとでも逸れると、人通りが少なくなり、ウィーンらしい石畳の路地などが現れ、地図に書かれていない中庭的な通りも多く存在しています。
ウィーンは気の向くままに迷うぐらい歩くともっと面白くなります。
石畳はヨーロッパを感じさせ、街の景観にも溶け込んでいますね。
ウィーンにも多くの石畳の小路が存在しています。
そのような所に来ると、時代をタイムスリップをしたような感覚になりますね。
石畳のように道路舗装のようなものは、紀元前4000年頃メソポタミアでも確認されています。
またエジプト人なども物資を運び易くする為に使っていました。
古代ローマ時代に飛躍的に進歩したわけです。
近代的なアスファルトなどが登場する以前からヨーロッパでは石による道路舗装が行われていました。
ウィーンでは皇帝フェルディナント1世時代の16世紀ぐらいから本格的な道路舗装が行われたようです。
ウィーンの街は、皇帝フェルディナント1世時代の16世紀ぐらいから本格的な道路舗装が行われたようです。
さて、前置きが長くなりましたが、石畳と言うと街中をイメージしますが、今日はウィーン市ですが、郊外にある石畳の雰囲気をちょっと紹介します。
こちらの情緒ある石畳の小路はウィーンの街中ではなく、郊外のワンシーンです。
郊外と言っても、もちろんウィーン市の中です。
中心界隈は建物に囲まれた石畳が当たり前ですが、ここには建物は全くなく、緑に囲まれています。
ウィーンの街は森の都・・・豊かな緑に囲まれた街ですが、石畳の小路も緑に覆われているようです。
中心部とは全く違った長閑な印象を受けます。
ここがウィーン市の一部とはとても思えません。
この場所はウィーン21区のStammersdorf界隈、Satdtwanderweg 5の一角です。
この辺りは石畳の小路がたくさんあります。