ウィーンは森の都とも形容され、ヨーロッパでは街の広さに対し、緑の比率が最も多い街で、至る所に緑が見られます。
ウィーンのリンク道路沿いだけでも5つも公園があり、それ以外にも色々な場所に公園や街路樹地帯が多くあります。
その豊かな緑をもっと外側から囲んでいるウィーンの森があります。
このコーナーでも色々な公園を話題にしましたが、今日はまた別の公園について少しまとめます。
こちらは緑豊かなHAYDNPARK(ハイドン公園)です。
オーストリアの3大クラシックの作曲家の1人であるJoseph Haydnに因んでいます。
ハイドンに関しては以下も参照して下さい。
ハイドン博物館、アイゼンシュタットのハイドン博物館、皇帝賛歌作曲の場所、ハイドンザール、ハイドンのお墓
ハイドン公園はウィーン12区の一角のGaudenzdorfer Gürtelにあります。
Gürtel(ギュルテル)はかつてLinienwallがあった所に作られた道路で、今は交通量が多い地元でよく知られた環状道路となっています。
この公園の広さは26.500 m²ですが、公園になる前ここはHundsturmer Friedhofという墓地でした。
マリア・テレジアの長男ヨーゼフ2世の時代、衛生上の理由からLinienwallより内側の墓地は全て閉鎖されたため、外側に墓地が作られていき,Hundsturmer Friedhofはその当時5つ作られた墓地のひとつで、 広さ31.000 m²、 1783年にオープンし、中央墓地が1874年にオープンするまで使われました。
その後、1926年にHAYDNPARKとしてオープンし、現在に至ります。
大通りに面している割には静けさを感じる公園で、この界隈に住む地元の人が結構くつろいでいます。
ここは個人旅行される方はまず見ることはないですが、団体ツアーの場合は、この横をバスで頻繁に走るため、私はよく御案内しています。
さて、今日のテーマである作曲家のハイドンは1809年5月31日、77歳でウィーンの街で亡くなり、
当時のこの場所Hundsturmer Friedhofに埋葬されました。その後1820年にハイドンの遺体は彼が人生の中心的な場所であったアイゼンシュタットにあるハイドンが長く仕えたエスターハーズィー家の重要な教会でるベルク教会に移されました。
この時にハイドンの頭蓋骨が無くなっていたというのは有名な話です。
これについてはハイドンのお墓を参照して下さい。
このハイドン公園には、現在でも当時のハイドンの墓石が残っています。
右上の写真はこの公園の一角にあるハイドンの当時の墓石です。
こちらはハイドンの墓石がある界隈です。
手前には読みにくくなっている石碑が置かれていて、ハイドンのお墓がここにあったこと、1820年11月6日に亡骸はアイゼンシュタットに移されたことが記されています。
ハイドンファンの方にとっては公園とは言え、ここは聖地的な場所ではないでしょうか。