ウィーンには中央墓地という世界的に有名な墓地があります。
ここは多くの音楽家が埋葬されていることと、映画「第三の男」のラストシーンの並木道があることで、今でもたくさんの方が訪れます。
この中央墓地があまりにも有名なので、ウィーンには他に墓地がないように思われる方が意外と多いですが、ウィーンも415km²とかなり広い街ですから外側には多くの墓地が今でも存在して、現在でも使われています。
今日はウィーンの郊外にある墓地をひとつ話題にします。
こちらはHeiligenstädter Firedhof(ハイリゲンシュタット墓地)です。
ハイリゲンシュタットと言えば、ベートーヴェンを思い浮かべる方が多いでしょうか。
この地域でベートーヴェンが32歳の時に遺書を書いた・・・それは"ハイリゲンシュタットの遺書"ということで知られていて、ハイリゲンシュタットの遺書の家があります。
そこから歩くとベートーヴェンの散歩道あり、そこにはウィーンで一番最初にできたベートーヴェンの記念像があります。
そこからもう少し奥へ歩いて行くと、このハイリゲンシュタット墓地が右側に見えてきます。
ハイリゲンシュタットはウィーンでも非常に古い司教区のひとつで、ここにはDöbling、Grinzing、Sievering、 Salmannsdorf、 Neustift am Walde、Nußdorfが入っていました。
ハイリゲンシュタット教会が14世紀には司教区教会になってからは、この墓地は当初司教区墓地として使われました。
つまりこのハイリゲンシュタット墓地は最初はこのハイリゲンシュタット教会の横にありました。1500年には納骨堂が作られ、1831年に墓地は壁で囲まれました。
19世紀後半、周辺地域の人口の増加に伴ってこの墓地は狭すぎました。
しかし、墓地のそばに鉱泉があったことで、墓地を拡張することができなかったことから、1873年9月2日に閉鎖され、同時に新しい場所へと移されました。
それが現在この墓地があるウィーン19区、Wildgrubgasse 20番地です。
余談ですが、このハイリゲンシュタット教会の横にあったかつての古い墓地は、現在公園になっていて、そこにはベートーヴェンの散歩姿の知られた記念像が立っています。
左上の写真がハイリゲンシュタット墓地の入口です。
墓地の中に入ると、奥行きがあってちょっと傾斜しています。
この辺りは高さが低い住宅街や、ベートーヴェンの散歩道があってのんびりした雰囲気です。
散歩にはいいですし、実際ウィーンStadtwanderwegの1号線になっています。
この墓地はウィーンの森の北側斜面の近くにあり、墓地のすぐ隣はぶどう畑となっています。
左上の写真の奥に見える傾斜した所はぶどう畑です。
緑が多い墓地ですね。
このハイリゲンシュタット墓地は長方形で、広さ20.315m²、2.655の場所があります。
中央墓地のような広大な墓地もいいですが、このハイリゲンシュタット墓地の雰囲気も素敵です。