ウィーンの古き良きひとコマ 3

ウィーン旧市街のリンク道路から内側の街並みはまだ城壁があった頃と比べても基本的には変わっていません。

19世紀半ばの1858年から城壁の取り壊しが始まり、リンク道路は1865年に完成し、その両側には様色々な建築様式で様々な建物が立ち並んで行きました。

リンク道路界隈だけを観察すれば大きな都市改革があったことがわかりますが、リンクの内側は中世からの地図を見ても現在の街並みと簡単に比較することができます。

ウィーンの当時の写真は1857年頃から存在していますので、現在より160年遡って当時の模様を知ることができます。

110年以上前に活躍していたウィーン郊外の蒸気機関車や最初は蒸気機関車だったStadtbahn(シュタットバーン)などを話題にしていますが、今日は古き良きひとコマの第3弾です。

 

 

 

上の白黒の写真はウィーンのある一角です。

ウィーンを知っている人であればこれがどこだかすぐにわかるでしょう。

広場のような所に記念像が目立って立っています。

この場所はPraterstern(プラターシュテルン)で、この像はテゲトホーフの記念像です。

Wilhelm von Tegetthoff(ヴィルヘルム・フォン・テゲトホーフ)はオーストリア=ハンガリー帝国時代の重要な海軍軍人です。

この写真は1953年の8月21日に撮影されたもので、奥の方に見えるのはFranzensbrückengasseです。

向かって左側にWien Prater駅があります。

このPratersternは大きなロータリーになっていて現在は車しか走っていませんが、この当時は路面電車が活躍していました。

 

 

 

こちらの写真はどうでしょうか?

正面奥に立っているのはそのテゲトホーフの記念像で、上と同じPratersternですが見ている場所が違います。

ずっと奥にはシュテファン大聖堂が見えますね。

こちらは1920年の撮影ですので、1枚目の写真よりも約30年前ということになります。

この時代は馬車がこの通りを車の代わりに走っています。

奥には路面電車も見えますね。

 

このような写真は歴史的にも大変興味深いものがありますね。

 

 

 

 

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