ベートーヴェン EROICAHAUS(エロイカハウス)

ウィーンは言わずと知れた音楽の都です。

これだけの音楽家が足跡を残した街は他にはないでしょう。

しかし、音楽の都になるのは17世紀以降で、この街はヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ家の居城があって、そのハプスブルグ家の下に神聖ローマ帝国の皇帝や王様の称号が長く輝いていたため、ウィーンは皇帝の居城だったわけですから、他のヨーロッパの街とは歴史的な立場が違っています。

皇帝の居城があったとなれば、様々な分野の人が集まって来ますから、音楽はその一部分に過ぎません。

ウィーンがなぜ"音楽の都"と呼ばれようになったか・・・こちらの方がずっと重要です。

有名な音楽家の中で、ベートーヴェン以上にウィーンで多くの足跡を残した人がいるでしょうか?

ウィーンのベートーヴェンの博物館としては、ハイリゲンシュタットの遺書の家パスクヴァラティハウス、エロイカハウスの3つです。

今日はこのエロイカハウスについて少しまとめます。

 


 

エロイカハウスはウィーン19区のDöbliger Hauptstraße 92番地にあります。

今ではちょっとした住宅街的な所で、目の前の通りを路面電車の37番が走っています。

この建物は"Biederhof"と呼ばれ、18世紀初頭に建てられました。

ベートーヴェンはここに1803年に住み、有名な交響曲第3番「英雄」を作曲します。

 

左上はエロイカハウスが入っているBiederhofで、1階の所に右の写真に見られる銘板があります。

"ここには1803年の夏この家に住み、エロイカを書いた"となっています。

 

 


 

大通りに面した茶色い扉を開けると、思わずカメラを向けたくなるような静かな中庭空間が広がっています。

左上の写真は中庭空間に入って、すぐ左側にあるエロイカハウスの入口です。

ここから入ると、せまい空間に係が座っていて、入場料を払う窓口となっています。

エロイカハウスは3つの部屋しかありません。

ハイリゲンシュタットの遺書の家はリニューアルされる前は2つの部屋しかなかったので、それよりは1つ多いです。

右上の写真は最初の部屋で、ここにはベートーヴェン当時のこの辺りの風景画が見られます。

ベートーヴェンがここに住んでいた頃は、この辺りはのんびりした長閑な地域でした。

ベートーヴェンは引っ越しを多くしたことはよく知られていますが、彼は冬から春先までは中心界隈に住み、陽気が良くなると郊外に住むということを頻繁にしていました。

そのため、ベートーヴェンの見学できる博物館は3つですが、それ以外ベートーヴェンの跡はとにかく多く見ることができます。

 


 

さらに奥のへ進むと2つ目の部屋が左上の写真です。

この博物館ではここが一番重要で、テーマであるエロイカに関する資料が展示されています。

当初この交響曲はナポレオンに献呈されるはずでしたが、ナポレオンが1804年12月2日、フランス皇帝に就いたことで、その献呈を取り消した話はよく知られています。

 

さらに奥に行くと右上に見られる細長い部屋があります。

ここにもいくつかの資料が展示されています。

 


 

こちらは2つ目の部屋に見られる英雄交響曲の自筆譜からのファクシミリです。

左が表紙ですが、当初は"Napoleon Bonaparte"に献呈されたため、彼の名前が書かれています。

しかし、その後献呈を取り消したので、ナポレオンの名前を消そうとベートーヴェンの怒りから力が入りすぎたのでしょうか・・・名前の部分が破れてしまって、穴が開きました。

右上の写真はその裏側ページですが、穴が開いた所に、英雄交響曲最初に響くEs-Durの和音が見られます。

 


以前このエロイカハウスは他の音楽家の家と同様の開館時間でウィーン市により運営されていました。

現在ではウィーン市の管轄ではありますが常にクローズしている状況です。

ここを見学するためには事前予約が必要です。

 

以下EroicahausのInfoを掲載しますので、訪れたい方は事前チェックをして下さい。

 

1190 Wien, Döblinger Hauptstraße 92
T: +43 (0)1 505 87 47 0
F: +43 (0)1 505 87 47 7201
E: office@wienmuseum.at

 


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