ウィーンの墓地と言えば真っ先に中央墓地が挙げられます。
ここは多くの有名な音楽家が眠っていることや映画「第三の男」のラストシーンの並木道があることで知られ、重要な観光スポットとなっています。
私も年間を通してここにはよく来ます。
中央墓地があまりにも有名なので、観光レベルで見ればウィーンにはこれしか墓地がないような印象を受けますがウィーンも外側に行けばそれぞれの地域に多くの墓地が存在しています。
今日はそんな墓地をひとつ話題にしてみます。
こちらはウィーン10区の一角にあるEvangelischer Friedhof Matzleindorfです。
この墓地はTriester Straßeという大きな通り沿いにあり、入口に近い教会が印象的です。
オーストリアは国内全体的に80%以上はカトリックの国ですが、この墓地はプロテスタントです。
Evangelische Kirche A.B. in ÖsterreichとEvangelische Kirche H. B. in Österreichは共にオーストリアのプロテスタントです。
"A.B"はAugsburgische Bekenntnisで、1530年に設立されたルター派で、オーストリアでは30万人弱です。
"H.B"はHelvetische Bekenntnisで、1562年からの改革派で、オーストリアでは14.000人ぐらいです。
この2つのプロテスタントの死者は1865年までカトリック墓地に埋葬されていたので、独自の墓地を作ろうということになりました。
そこで当時まだLinienwall(リーニエンヴァル)という外側の城壁があったそのすぐそばに土地を入手し、1858年4月7日にオープンしました。
この年はリンク道路の建設が始まった時で、ウィーンの街が大きく変わって行く時でした。
人口の増加に伴ってプロテスタントの墓地ももっと必要となったため、中央墓地にもプロテスタントの墓地ができましたが、このEvangelischer Friedhof Matzleindorfは今日まで残されて使われています。
この墓地にある印象的な教会はTheophil Hansen(テオフィル・ハンセン)によるもので、1860年9月27日に奉納されています。
ハンセンは国会議事堂、ウィーンフィルのニューイヤーでお馴染みな楽友協会ホールやギリシャ正教会も手掛けている重要な建築家です。
この教会もギリシャ正教会的要素を見ることができます。
正式な名称は"Christuskirche" で、ここには1924年以来この地域のルター派の所在地となっています。
大通りに面している墓地の割には、中に入ると静かな雰囲気が漂います。
この墓地のすぐそばに団体ツアーで利用するホテルがあることから、個人的に朝早くここを散策する機会が多くあります。