1月6日の聖三王が過ぎるとウィーンの街は舞踏会が至る所で開かれ、それに伴うカレンダーもあるぐらいです。
舞踏会の中で最も有名なのは国立オペラ座の舞踏会(Opernball・・・オペルンバル)です。
この舞踏会は復活祭がいつ来るかによって開催される日が毎年変動し ます。
謝肉祭の最高点である火曜日(Faschingsdienstag)の前の週の木曜日と決め られていますので、今年は2月8日の木曜日・・・つまり今日ということになります。
去年は2月23日でしたので今年はかなり早いですね。
上の写真は国立オペラ座正面入り口で、左が2月5日、ちょうど構築が始まっています。
右は昨日の昼頃で、毎年恒例のこの正面入り口セットが出来上がっています。
ちなみに昨日は雪でした。
<国立オペラ座舞踏会の歴史>
国立オペラ座舞踏会は、有名なウィーン会議(1814-1815) の時からだとされていますが、場所は宮廷関係の劇場ではなかったようです。
そもそも国立オペラ座自体、1868年に完成していますからウィーン会議の50年以上後ということになります。
その1820~30年代、この帝国の都ウィーンでは数々の大小の舞踏会が開かれるようになっていました。
ヨーゼフランナー、ヨハン・シュトラウス(父)が活躍する時代ですね。
それから王宮のレドゥーテンザールで開かれるようになっていきますが、1848年の革命時からはしばらく静かになります。
1862年Theater an der Wienが舞踏会開催を許されました。
1869年にリンク道路の現在の国立オペラ座を宮廷が使い始めますが、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がここでの舞踏会を拒んでいたため、1870年に完成したニューイヤーコンサートで有名な楽友協会ホールで "Ball in der Hofoper"として開かれました。
1877年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が賛同し、初めて現在の国立オペラ座の一角で祭典が行われました。
ハプスブルグ帝国崩壊後、オーストリアが共和国となり、すぐに帝国時代の懐かしさから1921年にはすでに舞踏会が開かれました。
1935年には「Wiener Opernball」という名で開かれ、1939年第2次世界大戦前日の夜、最後のオペラ座舞踏会が開かれます。
戦後壊された国立オペラ座が1955年に修復され、1956年2月9日に現在のオーストリア共和国の初めての国立オペラ座舞踏会が開かれ、現在に至っています。
つまり今年は現在のオーストリアになって62回目ということですね。
国立オペラ座舞踏会は世界各国の著名人、貴賓が集まり、男性は燕尾服、女性はイブニングドレスと決められています。
<国立オペラ座舞踏会についての色々な数字>
ゲストの数は5.150人、146万人が国立オペラ座舞踏会のテレビ中継を見ている、144組の社交界デビュー、
会場構築時間は350人の専門作業員、150人のアルバイトで30時間、解体時間は21時間、50の業者、
総費用140万ユーロ、46.000以上のグラス、1.000枚のテーブルクロス、4.000のナイフとフォーク、1.300のSekt、ワイン900本、ビール900本、150人の音楽家・・・。
国立オペラ座の普段の運営もすごいものがありますが、たった1回のこの舞踏会でも物凄いものを感じます。
さて、気になる今年の料金はどうだったでしょうか?
入場料 | EUR 290,- |
ボックス席(ロジェ) | EUR 20.500,- |
舞台側ボックス席 (大) | EUR 20.500,- |
舞台側ボックス席 (小) | EUR 11.500,- |
舞台側ロジェ テーブル付き | EUR 10.000,- |
6人用テーブル |
EUR 1.200,- |
4人用テーブル | EUR 800,- |
2人用テーブル席 |
EUR 400,- |
6階 4人用テーブル席 | EUR 400,- |
6階 2人用テーブル席 | EUR 200,- |
今年の料金は去年2017年度と全く同じです。
20.500ユーロと一番高いロジェは12人までが入れます。
それぞれの料金は入場料とは別です。
入場料だけでも290ユーロですからね。
国立オペラ座の最高額の座席よりも高いですね。
年間を通して数え切れないぐらい国立オペラ座の内部案内をしていますが、毎年思いますが舞踏会だけは別世界です。
国立オペラ座舞踏会の様子のビデオが見られますので、興味ある方は御覧下さい。
https://www.wiener-staatsoper.at/opernball/ ※国立オペラ座オフィシャルサイトより