ヨーロッパ文化はキリスト教なくしては語れません。キリスト教は絵画、建築、音楽、工芸品、人々の考え方など様々な分野に影響を与えています。手っ取り早くヨーロッパを感じるのは街中の教会に入ることもお勧めです。
日本では見ることができない建築様式の中に2000年の歴史を持ったキリスト教が現在に至って、なお健在であることが意識でき、外とは異なった時間の流れを感じます。
教会と言えば建築様式がつきもので、その時代を感じる色々な様式をみることができ飽きることがありません。
私は無宗教なので"信仰"ということにあまり興味がありませんが、キリスト教の世界はとてもおもしろいと思っています。絵画、建築、音楽などがキリスト教の歴史とリンクしていることがわかると興味が尽きません。
このコーナーでも時間を見つけて色々な教会を話題にしていますが、今日の教会は重要でありながらも場所柄あまり日本からの観光客が訪れることがない教会を取り上げます。
こちらは印象的なイタリア的バロック様式の正面構造を持つアム・ホーフ教会です。名前の通りウィーンの歴史ある広場のひとつAm Hofにあります。
Am Hof はローマ時代から存在し、中世のバーべンベルク時代の12世紀半ばにここに居城が置かれていたことに名前の由来がある重要な場所です。
この広場に来ればこの教会を見落とすことは絶対にありません。
ここにはバーベンベルク王朝時代にはロマネスク様式の宮廷礼拝堂が建てられていました。
1386年~1403年にカルメル会が3層構造のゴシック様式のHallenkircheスタイルで教会を作ります。
その後、宗教改革の波に巻き込まれてこの教会はかなり荒れてしまいます。
その後、後の皇帝フェルディナント1世が1554年に、反宗教改革の担い手であるイエズス会に引き渡しました。
イエズス会はその3年前の1551年にはフェルディナント1世によってウィーンに呼ばれていました。
1607年の火災の後、イエズス会は1610年までに3層構造のゴシック様式の教会をイエズス会バロック様式で再建しました。1625年には教会入口が改築され、1662年にフェルディナント3世の3人目の妻であるエレオノーラ・マグダレーナ・ゴンザーガによって初期バロック様式の正面部分とその舞台のような印象的なバルコニー的部分が寄贈されました。この部分はこのAm Hof広場を支配しているように見えます。
1773年にはイエズス会は解散を強いられ、1783年には教区教会となります。
1789年には主祭壇の領域が新古典主義で改築されます。
この舞台のような正面バルコニー部分でフランツ2世皇帝によってが1804年12月7日、"Kaisertum Österreich"(オーストリア帝国)が宣言されています。
1814年~1852年は再びイエズス会の管理となり、1852年にはウィーン大司教区に渡されました。
現在はクロアチア人が多く集まる教会として使われています。
内部はかなり広い空間で、教会正面のバロック様式からは想像できないしっかりしたゴシック様式の構造となっています。
3層構造で、側廊部分は大きな2階建て構造ですが、1階と2階の間には美しい装飾に囲まれた窓を伴った低い空間が配置されています。
側廊の壁にはバロック装飾を見ることができます。
東側正面奥には主祭壇が見えます。
ゴシック様式のアーチの奥に、新古典主義で改築された空間が奥行きが広がっているように見えます。
この部分だけは教会部分に属していないような印象を与えます。
シンプルに見える空間にある主祭壇には聖母マリアが描かれていて、9人の天使に囲まれています。
これは天軍九隊(聖歌隊天使)と呼ばれ、天使の9つの階級を表します。
採光の窓もゴシック様式で、ステンドグラスではありませんが明るい外からの光が入って来ます。
天井のリブ構造もしっかり残されています。
右上の写真は主祭壇を背にして西側入り口を見ています。バロック様式のアーチの上にはパイプオルガンが見られます。これは1763年に制作されたものですが制作者は不明です。パイプオルガンの型阿智も印象的で、正面部分が低く、左右対称に高くなっています。
イタリアバロック様式の正面部分とゴシック様式の内部空間の違いが非常におもしろいです。
教会は色々な建築様式が見られますね。