Nationalpark Thayatalではインフォセンター界隈を、Nationalpark Thayatal 2ではEinsiedlerwegと言われるハイキングコースと2回にわたってこの地域を紹介しましたが、最終回の今日はこのThaya川に掛けられている橋について紹介します。
インフォセンターからちょっと下るとHardeggというオーストリアで一番人口が少ない街に出会えます。この街はチェコとの国境に位置していて、ここにThayabrückeという橋が掛けられています。
この橋は現在もちろん普通に歩いて渡ることができます。
左上の写真はオーストリア側からこの橋を見ています。
奥の方に建物が見えていますが、あそこはもうチェコです。
この橋は徒歩、自転車だけで渡ることができます。
右上の写真はチェコ側からオーストリアを見ています。
この橋を渡るとここからチェコですというEUマークが入った立て札があります。
そこから先に行くとこのNationalpark Thayatalのチェコ語である"Narodní Park Podyjí"と書かれた立て札があります。
まだチェコが東ヨーロッパと呼ばれていた共産圏時代には徒歩で自由にここを渡ることは考えられませんでした。
この美しい自然の風景でも西側オーストリアと東側チェコとの運命が二分されたことを思えば考えさせられるものがあります。
このThayabrücke(ターヤブリュッケ)はオーストリアのHardeggとチェコのČížovを結んでいて、オーストリア側に国道ができたことをきっかけにして1874年に作られました。
作った会社はウィーンのIgnaz Grindlです。
それまでは当時の人々はかなりの回り道をしてこのThaya川を渡っていました。
第1次世界大戦後、帝国が崩壊しオーストリアがとても小さくなってチェコやハンガリーも独立をして、それぞれの国になってから橋の両側に国境管理の建物(出入国審査、税関)が建てられました。
右上の写真に見られるのはチェコ側のかつての当局の建物です。
この橋は第2次世界大戦の終わりまでは特に制限が厳しくなく、頻繁に利用されていましたが、1945年からは鉄のカーテン時代となりました。
プラハの春の時にはここが開けられる可能性がありましたが実現しませんでした。
その間は止むを得ない必要性がある時だけこの橋が使われました。
かつてのソ連の共産主義体制が崩壊した後、この橋はオーストリアが安全性を確かめ、しっかり整備して、1990年4月12日の緑の木曜日に再び開通しました。
こちらはオーストリア側に見られるこの橋が再度開通したことを示す記念プレートです。
オーストリアのBundeswappen(Bundesadler)が見られ、その両側には左にNiederösterreich、右にはHardeggの紋章が見られます。
ここではThayabrückeではなく、 Grenzbrücke(国境の橋)という名所になっています。
橋の長さは73m、幅は4.20mです。
今はオーストリア側から、そしてチェコ側からと自由に行き来でき、かつての重々しい国境だったとはとても思えない程このThayabrückeは美しい自然に調和しています。