ウィーンの旧市街地で一番美しい歩行者天国と言えばGraben (グラーベン)でしょうか。
ここは300m程の長さの広場のような通りで、ローマ時代には"堀"だった所でシュテファン大聖堂のすぐそばから延びています、
同じGrabenでも今日テーマにするGrabenは全く別の場所にあるTiefer Grabenという通りで,ここにはあまり気付かれることがないベートーヴェンの住居があります。
Tiefer GrabenにはHohe Brücke (ホーエ・ブリュッケ)という有名な橋が掛けられています。
右に見られる写真はその橋の上からTiefer Grabenを眺めています。
街中にもかかわらず橋があることがおもしろいです。
もともとここにはOttakringer Bachという名の川が流れていました。
Tiefer Grabenですから"深い堀"と直訳していいと思います。
このTiefer Grabenには作曲家のモーツァルトやベートーヴェンが住んだことでも知られていますが、今日はベートーヴェンの住居に少し触れます。
Tiefer Grabenの8-10番地の建物の2階の所に左の写真に見られるようにベートーヴェンが1815年~1817年に住んでいたことがモザイクで記されています。
その右にはベートーヴェンが作曲した曲の作品番号も記されています。
それぞれの作品と作曲年代を以下の通りです。
Op.98 歌曲集「はるかな恋人に寄す」(1816年)、
Op.101 ピアノソナタ第28番 (1816年)
Op.102 チェロソナタ4番、5番(1817年)
Op.106 ピアノソナタ第29番
「ハンマークラヴィーア」(1817年~1819年)
Op.137 弦楽五重奏曲 フーガ(1817年)
しかし・・・
このベートーヴェンの記念銘板はちょっと信用できないかもしれません。
ベートーヴェン自身が1800年3月26日付の新聞にブルク劇場での彼が主催する演奏会の広告を出し、ロジェ席と予約席のチケットはTiefer Graben 241番地の3階(日本だと4階)でベートーヴェン氏から入手と書かれています。
実際にベートーヴェンがいつここに入居して、いつ出て行ったかははっきりしていません。
前述した新聞が正しければ、ベートーヴェンは1800年頃にはここに住んでいたことになるので、そうなるとこの作品年代とは全く違うことになります。
ベートーヴェンに関することはここでは結構取り上げています。
ハイリゲンシュタットの遺書の家、ベートーヴェンのデスマスク、第9交響曲の家、
第9交響曲の家 2、第9交響曲の家 3、交響曲第6番田園の小川、ベートーヴェンの記念像、
ヘレーネ渓谷のベートーヴェンの跡、ウィーン21区のベートーヴェンの滞在場所、
ベートーヴェンの最後の住居、中央墓地、ウィーンのベートーヴェンの散歩道にあるベートーヴェン像なども参照して下さい。