オーストリアで最も多くの方が訪れる観光スポットはシェーンブルン宮殿ですが、ここはマリア・テレジアの時代に現在の姿のなったわけですから、マリア・テレジア以降の人達が登場します。
歴史的に遥かに古いのは中心部にある王宮です。王宮は"Hofburg" (ホーフブルク)と一言で呼ばれていますが様々な時代の建築様式から成り立ち、とても複雑な構造になっています。
シェーンブルン宮殿やベルヴェデーレ宮殿のようにひとつの大きな宮殿が美しい庭園と共にあるという離宮スタイルではなく、街中に増改築された都市宮殿です。
是非こちらも参考にして下さい。
ウィーンの王宮1、ウィーンの王宮2、ウィーンの王宮3、ウィーンの王宮4、ウィーンの王宮 5、
市内観光でも皆様にも頻繁に御案内する王宮ですが、この王宮にはウィーン少年合唱団がミサで歌う王宮礼拝堂があることでも知られていますが今日はその礼拝堂について少しまとめておきます。
王宮礼拝堂はBurgkapelle (ブルクカペレ)と呼ばれていて、王宮の一番古い部分であるスイス宮にあります。
このスイス宮自体が外からは全く見えないため、ここを最初に訪れる方にとってはちょっと探しづらい場所になると思います。王宮は前述したように様々な時代の増改築から成り立っているので非常に複雑な構造になっています。しかも、一番古いこの部分の隣に建築された部分が2番目に古いというような順番ではなく、あちこちに建築されてそれが時と共に接続されていったのです。
王宮はハプスブルグ家が始まる前の、バーベンベルク王朝の君主レオポルド6世によって、13世紀前半にはおそらく最初に建築され、その後ボヘミア王オットカル2世が拡張したとされています。
このスイス宮の中庭に来ると右の写真に見られるように階段があり、よく見ると壁には十字架マークが見られ、上を見ると教会の塔らしきものが見えています。
ここがBurgkapelleです。
度重なる増改築のおかげで外からは全く教会とは思えない雰囲気となっています。
ちなみにこの下の部分は宝物館があります。
このBurgkapelleが古文書で最初に登場するのは1296年となっていて、スイス宮の南部分に位置していました。
ハプスブルグ家のアルブレヒト1世が、1287年~1288年にここを後期ロマネスク様式で建築させたようで、その後1423年~1426年にアルブレヒト5世が増築をさせています。
その後フリードリヒ3世が1447年~1449年にゴシック様式に改築させ、現在見られる姿になっています。
中庭に面した階段を上がって建物の中に入るとすぐに教会内部に出るわけではありません。ここにはウィーン少年合唱団のミサのチケットを販売するカウンターがあるちょっとしたスペースになっていて、そこの左手の扉から中に入ると御覧のようなゴシック様式の内部空間が広がっています。
この扉が開いている時にはいつでも中に入れますが、時間によって閉まっていることも多いですよ。
中に入った印象はとてもせまい空間であり、カトリックの教会ではありますが意外と質素に感じるかもしれません。
教会はゴシック様式ですが、マリア・テレジアは当時の流行に合わせてここを後期バロック様式で改築させていますが、その後新古典主義の到来により1802年に再びゴシック様式に戻されました。
教会はひとつのホール構造で、Kirchenschiffと呼ばれる1階部分から見て左右は3階構造で、後方Emporは4階構造となっています。
教会内部には木彫りの聖人達13人が当時から残されていて、1470年~1480年頃のものです。
正面にはイエス・キリストの磔刑の像が目立ちますが、"フェルディナントの十字架"と言われ、マリア・テレジアが宝物館からこちらに運ばせたもので、フェルディナント2世に因んでいます。
左右はこのような3階構造になっていて、後期ゴシック様式の模様が印象的ですね。
この窓の中にも空間があって、ウィーン少年合唱団のミサを聞く時の座席があります。
こちらは正面祭壇とは正反対の後方部分で、こちらは御覧のように4階構造になっています。
左の写真では下からUntere Empore、その上がMittlere Empore、一番上がOrgelemporeとなっていて後期ゴシック様式の模様がとても印象的ですね。一番上のOrgelemporeはウィーン少年合唱団とウィーンフィルがミサ中に演奏する空間です。そのため、彼らが演奏している姿は本当に限られた所からしか見ることができません。
もちろん、音は素晴らしい響きとして全体に行き渡ります。
この王宮礼拝堂は隠れた所にあることもあり、見学できる時間帯でもほとんど人がいません。
ウィーン少年合唱団の王宮礼拝堂座席表もどうぞ。