ヴァッハウ渓谷で一番古いミヒャエル教会

ヨーロッパ文化を知る上でキリスト教なくしては語れません。

キリスト教があったからこそ音楽、建築、絵画など素晴らしいものが生まれることになるわけです。

特にカトリックの教会に入ると手っ取り早くヨーロッパを感じることができます。

オーストリアは歴史ある国で、ウィーンを始め国内には歴史的重要な教会や修道院がたくさんあります。

このコーナーでも時間を見つけて色々な教会について書いていますが、今日はヴァッハウ渓谷で一番古い教会について少しまとめてみたいと思います。

 

ヴァッハウ渓谷は2.800km以上あるヨーロッパで2番目に長い川であるドナウ河の最も美しい所です。シーズン中は船下りの名所であり、バロックの素晴らしいメルク修道院と組み合わせて頻繁に観光で訪れる世界遺産地域です。

ミヒャエル教会はメルクから船で下り、途中Spitzの街を出るとすぐに左側に見える印象的な教会です。

右の写真は船から撮影したミヒャエル教会です。

 

St.Michael (ミヒャエル教会)は今のゴシック様式になる前からすでにこの場所にありました。

この場所はケルト時代のOpferstätte(オプファーシュテッテ)であり、そこに800年にカール大帝がミヒャエルの聖なる場所を作りました。

Opferstätteとはいけにえを捧げる場所や祭壇のことです。

教会の歴史としては987年という記録が最初です。

12世紀の半ばにはフローリアン修道院の所有となり、14世紀終わりの1395年にはゴシック様式の交差リブ構造を持った納骨堂が作られました。

1523年にそれまであったロマネスク様式の石の教会は後期ゴシック様式で改築されました。

その頃から要塞として5つの塔と跳ね橋なども作られ、それらは17世紀まで繰り返し強化されました。

1630年に火災があり、身廊のアーチが焼け落ち、その後まもなく初期バロック様式で手が加えられました。

現在ではWösendorfとの姉妹教会になっています。

 


 

ミヒャエル教会はドナウ河沿いの一部人工的に整えられた少し高い所に立っています。

印象的な西側の要塞塔はうさぎの耳のような形をした装飾が見られ、教会の隣には納骨堂がありこれらが15世紀に作られてよく保存されている城壁に組み込まれています。

 

要塞城壁は7mほどの高さがあり、現在でもRundturmと言われる円柱状の塔が見られますが当時は隣の納骨堂と橋で結ばれ行き来することができました。

 

教会内部は3層構造のHallenkircheに近い構造で、PseudobasilikaとかStaffelhalleと呼ばれる後期ゴシック時代に流行ったスタイルです。

この2つのスタイルはBasilika様式とHallenkircheの間に位置し、Basilikaほどは身廊が高くなく、Hallenkircheのように天井全てが同じ高さではありません。

また、Basilika様式のように身廊の上の部分には原則的に採光のための窓がありません。

 

主祭壇は1690年のもので、1748年にSteinの教区教会から運ばれて来たもので、聖母マリアが中央に見られます。

祭壇の一番上にはこの教会の名前にもなっている大天使ミヒャエル(ミカエル)が立っています。

さらに1400年頃とされるSchmerzensmannや16世紀前半のピエタなど古いものが残されています。

現在は結婚式やコンサートなどの文化的なイヴェントにも使われています。

 

ヴァッハウ渓谷にはこのような歴史ある教会が多く立っています。

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村に登録させて頂いております。

是非下記バナークリックをお願い致します。

とても励みになります! (^▽^)


にほんブログ村 海外生活ブログ オーストリア情報へ
にほんブログ村