ウィーンで生まれたピアノにBösendorfer(ベーゼンドルファー)があります。Bösendorferはスタインウェイ、ベヒシュタインと並ぶ世界3大ピアノのひとつで、こちらのコンサートホールや音楽大学にもよく見られ、一般の音楽愛好家でも家庭にベーゼンドルファーを置いている所もあります。
ウィーンフィルメンバーのプライベートコンサートを話題にしたことがありますが、ここにもベーゼンドルファーが置かれていました。私が以前15年近く19区の一角に住んでいましたが、私の大家さんもよくハウスコンサートを開いていて、家にはベーゼンドルファーが置いてありました。国立オペラ座のマーラーの間にもベーゼンドルファーが置いてあります。日本ではスタインウェイのシェアが圧倒的なシェアですが、ベーゼンドルファーをひいきにしているピアニストは世界でも多くいます。
ベーゼンドルファーはウィーンのピアノ製造業者ですが、現在ではウィーンの国立オペラ座から車で60km程走ったWiener Neustadtに工場があります。
私はこのベーゼンドルファーの工場見学に過去仕事で20回ぐらいは訪れているでしょうか。入口は洗練されたピアノの鍵盤がデザインが施されています。最初に来た時はこんな入口ではありませんでした。
去年11月の後半に日本のヤマハが主催するツアーの皆様とベーゼンドルファーの工場見学をしました。
ベーゼンドルファーは1828年にIgnaz Bösendorferによってウィーンで設立されました。Ignazは当時有名なピアノ製造業者であるJpseph Brodmannnの下で学んでいます。Brodmannのピアノはベートーヴェンやウェーバーなどに演奏され、高く評価されていました。
Bösendorferは1839年にはすでに皇帝から
"k.k Hof-Klaviermachers" という称号を楽器製造業者として初めて与えられています。1859年に彼が亡くなり、当時24歳だった彼の息子であるLudwig Bösendorferが引き継ぎました。k.kの称号はお父さんに与えられていたため、息子は新たに宮廷に申請し1866年に取得しています。
1870年には現在のウィーン4区のGraf-Starhemberg-Gasseに工房が開かれ、ついここ数年前までこの場所も練習室やBösendorfersaalというちょっとしたホールもあって使用されていましたが、現在ここは閉じられています。
1973年にピアノ工場をWiener Neustadtに移して以来、現在もそこで製造されています。
Bösendorferは2008年からヤマハの傘下に入りましたが、名前ももちろんそのまま引き継がれ、ここには現地の社長、工場長を始め、120人の従業員でBösendorferを製造、販売しています。
建物の中に入るとショールームとしてたくさんのベーゼンドルファーが置かれています。
ベーゼンドルファーを買いたい人は誰でもここで試弾してピアノを選ぶことができます。
ベーゼンドルファーと言えば他のピアノには見られない低音部の鍵盤が少し多いモデルがあります。有名なのは"Moderll 290 Imperial"と呼ばれ、97鍵もあって、長さ290cm、重さ552kgもあるものです。通常のピアノの鍵盤は88鍵ですが、9鍵多くなっていて、全て黒鍵で作られています。
このモデルももちろんここに置かれていました。
以前は工場内の写真撮影も問題なくできたのですが、規定が変わって工場内は撮影禁止となりました。
ここでの工場見学は外で木を乾燥させている場所から始まります。ヨーロッパトウヒやブナなどを始め、たくさんの木が外に置かれて数年間乾燥されてから実際に加工されてピアノに使われます。
工場長の話ではピアノを実際に製造する前に使用する木を乾燥させ、それを加工して、さてピアノに使うぞ・・・というまでが、全体の製造過程のかなりの時間を有するということです。それはその通りでしょうね。
そして乾燥した木をピアノの様々な部分に使用して行く、いわゆる部品のように加工するわけですが、この過程だけで約半年、そして全てのパーツがそろって鍵盤やハンマーなどを組み込んで弦を張って調弦して仕上がりまでも約半年はかかるそうです。
工場内ではピアノに仕上がるまでの全ての過程を見学することができます。
左の写真の女性の方がここのGrubmüller社長で、その隣の男性の方が工場長のトーマスさんです。
このショールームは奥行きがあって広い空間です。通常のモデルの他にも特注の珍しいモデルなども多く並んでいました。皆さんがそれぞれ試弾されて、様々な曲が同時に飛び交っていました。
Bösendorferは宮廷のサロン、貴族の宮殿などでいかにピアニシモを美しく響かせるかということをコンセプトとしてピアノ製造を始めました。当時は一般の人のための演奏会というのは稀で、宮廷、貴族層だけでした。そのため演奏会場というようなものも存在していなかったのです。ヨハン・シュトラウス1世などはカジノ、カフェ、居酒屋などで演奏をしていました。そこで音楽を一般の人達へも提供しようという発想から1812年に楽友協会が設立されます。これは御存知の通りウィーンフィルのニューイヤーコンサートが行われる黄金の間がある建物です。
Bösendorferに対してスタインウェイは1853年の設立です。この頃には演奏会場というものが徐々にでき始めてきていましたから、大きなホールでいかにいい響きを出せるか・・・これがスタインウェイのコンセプトだったのでBösendorferとは根本的に違っていました。
年間での製造台数が極端に少ないBösendorferは素晴らしい音がしますし、多くのファンを魅了しています。