ウィーンの街は歴史があるので普通に歩いているだけでも十分楽しませてくれます。
ヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の居城があり、そのハプスブルグ家から神聖ローマ皇帝やローマ王が多く輩出されたこともありウィーンの街は他のヨーロッパの街とは歴史的立場が全く違っています。
街中の歴史的建造物や教会など、一般的な建物でさえも様々な時代様式から成り立っていて、それだけ見ていても飽きることがありません。
ウィーンの街が華やかに見えるひとつの理由でもあるわけです。
歴史的建造物や教会などにはよくラテン語の文字があったり、ローマ数字があったりしますし、またハプスブルグ家が関わっている建物や修道院などでは様々な紋章を見ることができます。
だいぶ前にキリスト教でよく見るモノグラムについて書いたことがありましたが、そのようなものも一例として興味深いものがあります。
さて、今日はこんなものを取り上げてみます。
右の写真に見られるものは何でしょうか?
何も気にしなければただの装飾模様に見えるのではないかと思います。
木の丸い縁どりにはさらにたくさんの球体装飾が施されていて、真ん中には金属で作られた模様がはめ込まれていますね。
この模様をよく観察して下さい。
一見すると左右対称のバロック的装飾で、縦に3本の棒が見られ、真ん中の棒だけがちょっと長めになっています。
棒の先にも渦巻き的な装飾が見られます。
しばらく見ているとローマ字の"H"の形のように見えないこともありません。
でも完全な"H"ではないですね。
何でしょう?
それではこちらはどうでしょうか?
これは木で作られたバロック的ワッペンです。
左の写真は上の写真と同じものを表現していますがちょっと簡略化されて分かり易くなっていますね。
そうです・・・
よく見ると3つの文字が表現されています。
左から"F・・J・・1"の3文字です。
もう一度上の写真を見て下さい。
左からF,J,1であることがわかりますが、Jは下のカーブが表現されていませんが。
これはハプスブルグ家事実上最後の皇帝で、バイエルンの王女エリザベート(愛称シシィ)の夫であるFranz Josef I.(フランツ・ヨーゼフ1世)のモノグラムです。
フランツ・ヨーゼフ1世は1830年8月18日にシェーンブルン宮殿で生まれ、18歳から68年間も皇帝であり続け、1916年11月21日にやはりシェーンブルン宮殿で86歳で亡くなります。
1枚目の写真は実は国立オペラ座の入口の扉に見られるもので、この国立オペラ座はリンク道路沿いの最初の大建造物としてプランされ、1868年には完成しています。
実際この国立オペラ座の上の部分にはフランツ・ヨーゼフ1世の名前が刻まれています。
今年2016年はフランツ・ヨーゼフ1世の没後100年祭にあたり、シェーンブルン宮殿では特別記念展示も行われています。
ほとんど気付かれないようなものですが、重要な意味を持っていました。