ウィーンと言えば様々な連想をされると思います。
ハプスブルグ帝国の都、音楽、ケーキ、豊かな緑、リンク道路、シェーンブルン宮殿、シュテファン大聖堂とウィーンを思わせる物は切りがありません。
19世紀初頭から流行ってきたウィンナーワルツもウィーンらしさを印象づけるもので、
現在でも様々な所で演奏会が行われていて、手軽に聞くことができますし、また謝肉祭の舞踏会シーズンではなくてはならないものです。
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでも毎年多く取り上げられ、最後には必ずヨハン・シュトラウスの"美しき青きドナウ"が演奏されます。
オーストリアの国営放送も年明けすぐにこの曲を全国ネットで流します。
ヨハン・シュトラウスの美しき青きドナウについては以前もこのコーナーで話題にしていますが、それが作曲されたシュトラウスの住居についてはまだまとめてなかったので今日はそれをテーマにしてみます。
ウィーンの街中で唯一ヨハンシュトラウス2世(ワルツ王)の博物館となっているこの場所は現在ウィーン2区のPraterstraße54番地にあり、右の写真に見られる通り、建物の2階部分には記念プレートと記念の旗があります。
ここにヨハン・シュトラウスは1867年~1874年まで居住し、ここを所有していました。
彼が当時ここに住んでいた時には2階部分左からバルコニーを含めた6つの窓が全て彼の住居でしたが、現在では左から5つ目の窓までが博物館として一般公開されています。
このPraterstraßeは当時ウィーンでは最も規模の大きな道路で、この建物の最もエレガントな階に妻のイェッティと共に入居しました。
当時の住宅事情では大通りに面した2階部分が一番エレガントでした。
前述したようにこの空間が全ての住居ではなく、当時はもう少し広かったにもかかわらずかなり広い空間であることがわかります。
左の写真が入口空間で、いつか話題にしますが"黄金の鹿"が見られます。
右の写真は通りに面した当時のサロンで、彼が使用したピアノや美しき青きドナウの資料などを見ることができます。
ちなみにピアノはベーゼンドルファーです。
さらに居間、仕事部屋、台所、食料貯蔵室、使用人部屋などがありました。
この博物館の一番重要なテーマは美しき青きドナウがここで作曲され、それに伴う様々な資料が見られますが、それ以外でも重要な物がたくさんあります。
彼の家族の写真、記念品の数々、出版された楽譜、家庭用オルガン、作曲をする時に使用した高脚机、シュトラウスの肖像画や写真などかなりの資料が展示されています。
美しき青きドナウはオーストリアの非公式の国歌とさえも言われるぐらいポピュラーなもので、世界中で親しまれています。
それがこの場所で作曲されたということを感じるだけでも音楽ファンはもちろんのこと、音楽を知らない方でもここに来る価値があります。
ちなみに美しき青きドナウはドイツ語で"An der schönen blauen Donau"と呼ばれますが、地元では"Donau Walzer" (ドナウ ヴァルツァー)と呼ばれ、An der schönen blauen Dnau"とはまず呼ばれていません。
1867年の今日2月15日が美しき青きドナウが初演されました。
ウィーンの中央墓地 2、ヨハン・シュトラウス「美しき青きドナウ」、
ワルツ王 ヨハン・シュトラウス(2世)の像もどうぞ御覧下さい。