ウィーンは"音楽の都"として世界的に知られていますが、音楽の都となるのは17世紀以降からであり、ここは何と言ってもヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の居城であり、そのハプスブルグ家の下に歴代神聖ローマ帝国に皇帝や王様の称号がありましたから"皇帝の居城"としての街だったので、他のヨーロッパの街と比べると歴史的立場というものが違っていました。逆になぜウィーンが音楽の都になったのか・・・こちらの方がずっと重要だったわけです。もちろんこれだけの作曲家が足跡を残した街はないでしょう。音楽をテーマにしても見切れないウィーンの街ですが、音楽はほんの一部にしかすぎません。
年間を通して音楽をメインテーマとして観光に来られる方は後を絶ちません。歴史が詰まったウィーンの旧市街地ぶらぶら歩きながら意外な所に作曲家が滞在した場所がたくさんあります。
ウィーンは旧市街地だけでなく音楽家の跡は外にも多く点在していますが、モーツァルト以上にウィーンで足跡を残したベートーヴェンは頻繁に郊外にも住んでいましたから、ベートーヴェンの跡が多く点在しています。
年間を通して頻繁に訪れるのがハイリゲンシュタットの遺書の家で、ベートーヴェンをテーマにすればウィーンでは最も多く訪れている気がします。一般ツアーから個人旅行の方々までウィーンで年を越そうという方が非常に多く、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートなどを始め、その時期は独特の空気になりますね。
そんなことから毎年、年末から年始にかけてベートーヴェンの遺書の家に訪れることが多く、今年の暮れから年始にかけてだけでも数回訪れました。
たいていハイリゲンシュタットの遺書の家に行く時にはベートーヴェンの散歩道も訪れますが、今年の始めにベートーヴェンの散歩道に行った時の様子です。
ベートーヴェンの散歩道は何通りかの行き方がありますが、公共交通機関で来る場合は路面電車Dの終点から歩いたり、ハイリゲンシュタットの遺書の家からEroicagasse経由で歩くことも多いです。
この辺りはベートーヴェンが毎日のように散歩をしたルートであることから、ベートーヴェンの散歩道という通りの名前にもなっていて、散歩をしているベートーヴェンにたくさんの霊感を与えました。
交響曲第6番「田園」の小川だってこの散歩道に平行して今でも流れています。
この時は今年の1月2日で、日中は-2℃というかなり寒い日でした。散歩道の両側の土や芝生が凍っているのがよくわかりますね。秋のベートーヴェンの散歩道とは雰囲気がかなり違います。
この散歩道を歩いて行くと、ベートーヴェンの像が立っている場所があり、そこは"Beethovenruhe"(ベートーヴェンルーエ・・・ベートーヴェンの休憩所)と呼ばれています。
このベートーヴェン像はウィーンでは一番古いベートーヴェン像です。
ベートーヴェンは基本的に夏に郊外に住んで、冬は中心界隈に住みましたでの、寒いこの時期にはおそらくここを散歩することはなかったでしょう。
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