オーストリアはローマカトリックが圧倒的な割合を占めるカトリックの国です。
これはハプスブルグ家がずっとカトリックを守ってきたことによることが大きな理由です。ウィーンを始め、オーストリアには様々な教会があり、カトリックと一言で言っても色々な建築様式で見られ個性豊かです。
教会に入ればすぐにヨーロッパ文化を見て感じられますね。
昨日はWolfgangseeを話題したので、今日はザルツブルクの街にある教会をテーマにします。
ザルツブルクの旧市街地の一角にあるフランシスコ会の教会です。
もちろんフランシスコ会修道会が所有しています。
フランシスコ会はアッシジのフランシスコが13世紀初頭1209年にローマ教皇から認められた修道会です。
ウィーンにも美しいフランシスコ会の教会があります。
ザルツブルクのフランシスコ会教会は建築的にもおもしろく美しい教会で、主に2つの部分から成り立っています。
ひとつはもともとロマネスク様式の
身廊部分とそれと同じ幅を持つ後期ゴシック様式の内陣部分です。
フランシスコ教会の最初は"Zu Unserer Lieben Frau"という聖母マリアに捧げられおそらくザルツブルク大聖堂よりも古い頃からあったと言われています。
ザルツブルク大聖堂はヴィルギル司教のもと774年に完成していますが、それよりも前の8世紀前半にフランシスコ会教会はそのヴィルギル司教の時代に存在していました。
当初は洗礼と教会会議に利用されていました。
1130年~1583年まではベネディクト会のペーター修道女の所有となり、1189年から1628年までは同時にザルツブルクの街の司教区教会の役割もありました。
このすぐそばにペーター修道院のペーター教会があります。
1223年に新しく奉納されて、すでにあった部分に接続されたようですが、現在の身廊部分は12世紀に遡ることができます。
1267年には街の大きな火災があり、この教会の大部分が壊されました。
1408年以降に大きく改築され、1592年、ヴォルフ・ディートリッヒ・ライテナウ大司教が新たにこの地に呼ばれたフランシスコ修道会に捧げました。
この教会にはフランシスコ会修道会が上の部分で接続されています。
1635年に大聖堂が司教区教会の役割を担ったことからフランシスコ会教会は今までの重要性を失い、長い間ロマネスク様式とゴシック様式も当時の様式に相応しくないと考えられていました。
そのためルネッサンスやバロック、ロココが好まれました。
ザルツブルクの最後の大司教コロレドがこの当時美しくないと思われたフランシスコ教会の取り壊しを考えていましたが、人手不足と環境問題を考えてやめました。
ゴシック様式の印象的な塔は1498年、ニュルンベルクのある親方によって建てられますが、1670年に塔の先が大聖堂より高いのはよくないとして取られてしまいました。
現在見られる塔は1867年に新たに建築されたネオ・ゴシックです。
西側正面入り口はバロック様式で、1700年頃に改築されました。
しかし、ロマネスク時代の赤と白の大理石で作られたアーチが残されています。
内部は非常に美しい空間です。
3層構造の狭い身廊部分はこの教会ができた当時の後期ロマネスク様式のバシリカ構造です。
内陣は後期ゴシック様式です。
身廊側の薄暗い雰囲気と全く対照的で非常に明るくなっています。
天井に見られるゴシック様式のリブ模様もとても印象的です。
ここの主祭壇はウィーンのシェーンブルン宮殿やカールス教会でもお馴染みのバロックの巨匠建築家フィッシャー・フォン・エアラッハによる1710年のものです。
その主祭壇に見られるのはマリアとイエスでこのマリアはゴシック時代に作られたミヒャエル・パッヒャー当時の見開き祭壇からのものです。
ミヒャエル・パッヒャーと言えばザルツカンマーグートのSt.Wolfgang教会の素晴らしい祭壇を思い出させます。
イエス・キリストは1890年に追加されたものです。
当時のパッヒャーのゴシック祭壇は1498年に制作され、当時中央ヨーロッパでは最大で最も豪華なものでした。
主祭壇の前には1790年に制作されたロココ様式の柵があります。
主祭壇を囲むようにしてそれぞれ印象的なアーチ構造を持った9つの礼拝堂があり、ほとんどが17世紀初頭から18世紀初頭に作られたものです。
説教壇は後期ゴシック時代のもので赤大理石です。
このフランシスコ会教会はロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックと様々な様式を見ることができ、しかしそれぞれが時代の個性を主張しながらも統一性を生み出している美しさが見られる非常におもしろい教会です。
ザルツブルクに行ったら是非立ち寄って下さい。