オーストリアの世界遺産のひとつてあるヴァッハウ渓谷は全長2.800km以上もあるドナウ河の最も美しい部分で、
メルク修道院と組み合わせて船下りをする一日観光がウィーンからも頻繁にあります。個人的にもここは大好きで家族とよく出かけていますが、その時には船に乗ることもあれば、船を使わず車だけで走る場合もあります。
ここは古い歴史ある街、ブドウ畑、古城などが多く点在する風光明媚な景色が広がっています。
今年もこのヴァッハウ渓谷には仕事でもプライベートでもよく出かけていますが、今日はここのまた別の廃墟のお城を紹介します。
ヴァッハウ渓谷の廃墟のお城として、デュルンシュタインの廃墟のお城、ヒンターハウスの廃墟のお城についても書いているので参照して下さい。
こちらはAggstein(アックシュタイン)の廃墟のお城で、メルクから船下りをして、しばらくすると右側の山の上に立っているこの印象的なお城が登場します。右の写真はメルク方面に向かって撮影したもので、山の上にポツンとこの廃墟のお城が立っているのがわかります。下から見ていると道が全くないのであそこまでどうやって行くんだろう・・・と思うのですが国道33号線からちゃんとこの山の上へ行く道が延びていて車でアクセスすることができるようになっています。
下から見ている以上にこの廃墟のお城は実際かなり大きくて奥行きがあります。
このアックシュタインの古城は12世紀の初めにおそらくAggsbachのManegold 3世によって建てられたもので、1181年にはクエンリンガーの所有となります。
その後クエンリンガーのHamar3世とバーベンベルク家のフリードリヒ2世闘争公との争いでここは1230~1231年に占領されますが、フリードリヒ2世の後継者問題でLeutold I. von Kuenring-Dürnsteinがハプスブルグ家のアルブレヒト1世よりも抜きに出て、1295年に再びクエンリンガーによって占領されました。最後のクエンリンガーである Leutold II世が1355年まで所有し、その後荒廃していきます。1429年にハプスブルグ家のアルブレヒトV世がここを入手し、彼の宮廷財政長官であるJörg Scheck von Waldに渡します。アルブレヒトV世はJörgにドナウ河の船の通行を安全にするためにここを再建させ、1438年よりここを通ってドナウ河上流へ行く船に通行税が課せられました。
時が経つにつれて、Jörg von Waldはドナウ河を通行する船を襲う盗賊騎士となっていきました。
その後、1463年にやはり後盗賊となるGeorg von Stainによって占領されますが、彼も1476年にUlrich Freiherr von Graveneckによってここを追い出されます。1477年にはハプスブルグ家のレオポルド3世が自らここを所有することでこの城の奪い合いが終止符となりました。1529年のオスマントルコの第1次ウィーン包囲の時にこの城は焼かれてしまいますが、何度となく再建されました。
1606年にはAnna von Polheim und Parz 男爵夫人の所有となり、彼女の死後1685年に同じヴァッハウ渓谷にあるSchönbühel 城と共にErnst Rüdiger von Starhembergの所有となりますが、1819年にStarhembergもGrafen Franz von Beroldingenに売却し、Beroldingenが1930年まで所有することになります。その後ここは Grafen Oswald von Seilern-Aspangに売却されて、現在まで彼らの所有となっています。
多くの奪い合いや持ち主が変わる歴史をこのAggsteinのお城は持っていたわけです。
上の写真に見られるようにAggsteinの廃墟のお城はこのような形になっているんです。下から見たら全くわかりません。とても奥行きがある細長い形です。12世紀始めに作られたこのお城はクエンリンガーの時代だけでも少なくとも2回は包囲され、占領されていますがその時代に建築された部分も現在まで残されています。
1429年には廃墟となるわけですが、その後も再建や増築が繰り返されてきましたので廃墟のお城と言ってもそれなりの時代の建築様式が見られます。
入口から中に入ると中世の空気が漂い、真っすぐか左にルートを取ることできます。ここは自分達で自由に動くことができますが、オーディオガイドも提供されています。
左上の写真はドナウ河にそびえている側から奥を望んだ光景で、細長い形であることがハッキリわかります。
真ん中に見えている空間はレストランになっていて食事をすることができ、軽食からメイン、飲み物まで内容も充実しています。うちも見学した後はここでゆっくり腰を下ろして食事を楽しみました。
左の写真は奥の方からドナウ河方面に向かっての眺めで、お城と奥に見えるドナウ河の雰囲気が素敵です。
右の写真はこのアックシュタインの廃墟のお城の有名な伝説のひとつとなっている場所です。
<有名な伝説>
前述したJörg Scheck von Waldがバラの園があると言って囚人達を城の外に閉めだします。そこは断崖の一角であり、囚人達はそこから飛び降りて命を落とす者、そこに残って餓死する者がいたそうです。
右の写真はこの廃墟のお城の上の方に位置するその断崖で、今でも伝説に登場する岩の飛び込み台が見られ、安全のため柵で囲まれていて、"Rosengärtlein"と呼ばれています。
このAggsteinの古城はしっかりした階段が随所に作られていて歩き易くなっています。
個々の部屋の部分もよく残されていて、廃墟ですが当時の面影を偲ぶことができます。
ここは城内を歩くのも楽しいですが、何と言ってもここからドナウ河に向かっての眺めがとても素敵です。
この続き明日にしましょう。