気付かない城門の名残

ウィーンは現在の生活がちゃんとあっても、その中に様々な歴史が見られるとても奥深い街です。

最近の団体ツアーでもシェーンブルン宮殿以外にもウィーンの中心部を少しでも歩くことが多くなりました。

最も2014年の5月から残念なことにシュテファン大聖堂までバスで入れなくなったため、シュテファン大聖堂が観光プログラムに入っている場合は絶対に歩くことになるわけです。

通常の団体ツアーの場合は時間がかなりきついので、歩く時間も当然制限されますから、それでも私はなるべくこのウィーンの街が歴史的にとても奥が深いことを紹介しながら歩いています。

 

ウィーンの街はローマ時代から存在し、中世のバーベンベルク王朝時代、そしてヨーロッパで一番長く続したハプスブルグ王朝時代に街が発展していきました。

ウィーンの中心部が城壁で囲まれていたことは有名で、今でも何か所かでその名残を見ることができます。

 

今日はそれを思い起こさせる城壁(城門)の一部について少し書き記します。

 

このコーナーでもウィーンの街を囲んでいた城壁については何回か書いていますので参考にして下さい↓

貴重な城壁の名残り 1貴重な城壁の名残り 2貴重な城壁の名残り 3

2つ目の城壁「Linienwall」19世紀後半のウィーンの街並みウィーンの城壁とある城門なども参照して下さい。

 

こちらは王宮 3 で紹介しているLeopoldinischder Traktです。

この部分はリンク道路からでもよく見られ、17世紀半ばに建築された初期バロック様式です。

ここはマリア・テレジア広場からバスを降りて、英雄広場を通りながらお客様とよく歩く場所で、王宮全体の説明をする時には様々な建築様式を見ながら効率よくミヒャエル広場やヨーゼフ広場に通り抜けができます。

このレオポルド宮を通り抜ける時にたいていの人が気付くことがない貴重な城壁の名残があります。

 

 

上の写真に見られる場所が通り道の壁の所に見られます。

これは"Widmertor"と言われる中世の城壁に組み込まれていた城門の名残です。

ウィーンの旧市街地の基本の大きさが形成されるのはバーベンベルク王朝時代で、12世紀の終わりにローマ時代の城壁をもっと拡張する形で築かれていきました。

最終的にこの城壁はフランツ・ヨーゼフ1世の時代1858年から取り壊されて、1865年にはリンク道路が全線開通することとなります。

当時城壁が取り壊される時点では全部で11個の城門がありました。

 

これは13世紀の1230年~1240年代にバーベンベルクの居城を建築する際に、当時の城壁に組み込んだ部分です。

ここにはWidmerturmという城壁(城門)に組み込まれた塔があり、これはその名残で16世紀の初頭まで存在していました。

 

"Widmer"という名は当時のこの地域の名前です。

ウィーンの旧市街は当時Viertel (フィアテル)と言われた

Stubenviertel , Kärntner Viertel , Widmerviertel 、Schottenviertel 4つの地域に分けられていました。

そのひとつであるWidmerviertelから由来しています。

 

Widmerturmの最初の記録は1418年です。

皇帝フェルディナント1世の時代1553年~1559年に住居に改築され、その部分が隣接しているスイス宮に接続されました。

そこからレオポルド宮が建築されることになります。

 

ほとんどの人が気付かないこのようなちょっとした物でもとても深い歴史が隠れているわけです。

ウィーンは本当に奥が深い街です!

 

 

 

 

 

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