ウィーンに最も多くの足跡を残した音楽家はベートーヴェンでしょうか。
オーストリア人の3大クラッシックの作曲家ではないにもかかわらず・・・です。
その中でウィーンのリンク道路の内側にありながら、なぜかあまり注目されない、しかし、
重要な作品がたくさん生まれたパスクヴァラティハウスについて少し取りあげます。
"PASQUALATIHAUS"とドイツ語で言われますので、タイトル通りパスクヴァラティが
ドイツ語発音からの日本語読みですが、パスクラティとも多く呼ばれています。
このブログコーナーでもベートーヴェンに関することは結構取り上げています。
ハイリゲンシュタットの遺書の家、ベートーヴェンのデスマスク、第9交響曲の家、
第9交響曲の家 2、第9交響曲の家 3、交響曲第6番田園の小川、ベートーヴェンの記念像、
ヘレーネ渓谷のベートーヴェンの跡、ウィーン21区のベートーヴェンの滞在場所、
ベートーヴェンの最後の住居、中央墓地、ウィーンのベートーヴェンの散歩道にあるベートーヴェン像なども参照して下さい。
このパスクヴァラティハウスはウィーン大学のリンク道路を挟んでほぼ正面に位置する昔の城壁の一部である有名なMölkerbastei(メルカーバスタイ)の上に建っている建物の日本で言う5階にあります。
右の写真で見る最上階に見える窓、屋根のすぐ下ですので上に着いた時には結構息が切れてます。(笑) Mölkerbasteiに関しては↓
18世紀に入りオスマントルコの脅威がなくなるとこの帝国の都は人口が増えていくことになるわけですが、このBastei
(バスタイ、またはBastion・・・バスツィオン・・・日本語では堡塁)の上も建物でいっぱいになっていきました。
この5階建ての建物は1791年、ヨーゼフ・フォン・パスクヴァラティ男爵によって建てられました。
モーツァルトが亡くなる年ですね。
ここの入口には例によってウィーンの重要文化財を示す旗が掲げられていて、右側に銘板を見ることができます。銘板には”1804年~1815年にかけて繰り返しベートーヴェンがこの家に住んだこと、交響曲第4番、第5番"運命"、第7番、オペラ"フィデリオ"、レオノーレ序曲第3番、ピアノ協奏曲第4番、バイオリン協奏曲、弦楽四重奏曲OP59,95やその他の作品"と記されています。
ベートーヴェンの多くの有名な曲がここで誕生しています。
ベートーヴェンがここに入居したのは1804年・・・彼が34歳の時ですから、その2年前に書かれた"ハイリゲンシュタットの遺書"から精神的にふっ切れてその後芸術家として円熟期に入って行く時期ですね。
この博物館への入口は2つあり、この写真で見られる正面側と1枚目の写真で見られる建物の右側です。
ここは現在でも一般の人々が住んでいますので、おそらく住人が中から鍵をかけてしまってたまにこの正面入り口が閉まっていて中に入れないことがあります。
その時は右側に行って下さい。
正面から中に入ると、ちょっとした中庭が見られ別世界です。
それを楽しんで右側にさらに扉がありますので、それを開けて薄暗い螺旋階段をひたすら最上階(4.Stock)まで上がって行きましょう。
ここが薄暗かったら、壁に赤く光っているスイッチを押しましょう。
すると階段ホールの照明がつきますよ。
最上階についたらさらに扉を勝手に開けましょう。呼び鈴はありません。
すると、ベートーヴェンの住居に入ります。
ここの博物館はベートーヴェンの博物館の中では一番部屋数が多く、様々な資料を見ることができます。
左上の写真は最初の部屋で、ベートーヴェンに贈られたれたナネッテ・シュトライヒャー製のピアノを見ることができます。
右側奥に肖像画がありますが、この人物がヨーゼフ・ベネディクト・パスクヴァラティでこの建物を建てた人物です。彼の名前がこの建物の名前にもなっています。
彼は医者であり、患者の中にはマリア・テレジア女帝もいました。
彼の息子のヨハン・バプティスト・パスクヴァラティがここにベートーヴェンを入居させ、
ベートーヴェンと生涯に渡って友情関係を保ちました。
奥にはベートーヴェンのこの頃の像を見ることができます。
右側はベートーヴェンの交響曲第5番"運命"のスケッチです。
さらに奥には4つの部屋があります。
左上の写真はオペラ "フィデリオ"のベートーヴェンによる手書きのスケッチです。
右上の写真はフィデリオに関する部屋で、台本作者や当時の歌手、そしてフィデリオが初演されたテアター・アン・デア・ウィーン劇場の様子などがわかります。
このオペラは1805年11月20日に初演されますが、ナポレオン戦争中でフランス軍がウィーンに入って来たこともあり、たくさんお人が避難したこともあり時期的にも最悪でした。
その奥に部屋には左下に見られるようにベートーヴェンの肖像画と彼の御祖父さんの肖像画があります。
ベートーヴェンの御祖父さんはベートーヴェンが3歳の時にこの世を去ったわけですが、
ベートーヴェンはボンからこの肖像画をわざわざ取り寄せています。
この絵は彼の心の支えにんたっていたと思われます。
その奥の部屋にはベートーヴェンと知り合いにいになった重要な人々が見られます。
ボンでベートーヴェンが子供時代からお世話になったシュテファン・ブロイニング、エスターハーズィ家のニコラスII世、ロブコヴィッツ侯爵、三大ピアノソナタのひとつである
"熱情"を献呈したハンガリーのブルンスヴィックのフランツやその姉妹のテレーゼとヨゼフィーネなどの肖像画などを見ることができます。
ウィーン市管轄の音楽家の博物館では実際にその音楽家の名曲をその場で聞けるようになっていますが、ここにもちろんその設備があります。
このベートーヴェンのパスクヴァラティハウスはほぼリンク道路沿いにあるにもかかわらず
なぜかあまり訪れる方が多くないのが残念です。
音楽に興味がなくてもウィーンに来られたら訪れてみてはいかがでしょうか。