ウィーンの王宮を観光する人も多いでしょう。
王宮は夏の離宮であるシェーンブルン宮殿よりもはるかに長い歴史を持ち、様々な建築様式から成り立っていてとても複雑です。
王宮の方がハプスブルグ家のメイン宮殿であり、同時に神聖ローマ帝国の皇帝の居城として長らく君臨してきました。
ひとつの観光スポットとしてはシェーンブルン宮殿がオーストリアでは最も多くの人が訪れますが、旧市街にある王宮もシェーンブルン宮殿と同様に重要です。
王宮は外から見るだけでも様々な建築様式であることがわかりますので、それだけでも十分おもしろいですが、博物館だとシシィ博物館、皇帝の部屋、宝物館などが非常に重要です。
博物館の中でSilberkammer (銀器博物館もしくは宮廷銀器・食卓調度コレクション)も
重要です。
Silberkammerはハプスブルグ帝国時代の宮廷で使用された銀器や食器、デザートの型などがずらりと展示されています。
左上の写真は銀器博物館の入口で、チケット売り場のすぐ後ろにあります。
中に入るとかなり複雑な構造で、それぞれの空間には歴史的にとても重要な物から、日常で使用されたものまできれいに棚に並べられて展示されています。
右上の写真は当時の宮廷の厨房風景です。
写真左は王宮菓子製造所で使用されていた"型"です。
ハプスブルグ家ではすでに15世紀から"銀器保管室"があったことが確認されています。
16世紀1527年のフェルディナント1世の宮廷規則によると、銀器の他にパンや果物も管理されていて、保管室長と3人の銀器係、2人の助手の計6人が働いていました。
18世紀には"銀器保管室"が"王宮銀器保管室"という名に変わり、18世紀半ばよりテーブルクロスなども扱われ、パン、サラダ、チーズ、果物などを盛り付けるのも銀器係の仕事となりました。
今日の料理には何がいくつ使われるという毎日厳密な食器リストが存在し、それに基づいて銀器が準備され、使用後もそれがしっかり戻されたかチェックされていました。
しかも顔見知りの人物だけしか銀器類を運搬することがきでませんでした。
19世紀になると。銀器保管室と食卓調度保管室が一緒になり、"王宮銀器・食卓調度保管室"
という名になります。
1918年にハプスブルグ帝国が崩壊し、王宮銀器・食卓調度保管室の所蔵品はオーストリア共和国の財産となりますが、帝国解体には1万点以上が売却されたり、混乱に伴ってかなりの物が紛失したと言われています。
これだけのコレクションが現在残りながらも、当時からすれば極一部というわけです。
銀器類だけでなく、磁器類も興味深い物が多くあります。
地元オーストリアのアウガルテンを始め、フランスのセーブルやイギリスのミントン、
さらに中国の物や日本の有田焼も展示されています。
このSilberkammerはシシィ博物館と皇帝の部屋との共通券となっているので、シシィ博物館を見る方はエクストラで入場料を払う必要はありません。
ここの入口はチケット売り場の奥にあります。
しっかり見ると非常に時間がかりますが、十分訪れる価値がある博物館です。