ウィーンの重要な観光名所のひとつにリンク道路という環状道路があります。
リンク道路は19世紀半ばの1858年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の命によって中世からあった城壁が取り壊されて1865年に完成しました。
今年がリンク道路ができて150周年記念となるわけです。
リンク道路はヨーロッパの過去の様々な様式が登場し、まるで建築の見本市的な荘厳な建造物が建ち並んでいます。
取り壊された城壁の名残りは現在でもしっかり見ることができます。
貴重な城壁の名残り 1、貴重な城壁の名残り 2、貴重な城壁の名残り 3、
2つ目の城壁「Linienwall」、19世紀後半のウィーンの街並み
なども参照して下さい。
当時街を囲んでいた城壁には全部で11個の城門が組み込まれていたわけですが、今日はその
ひとつの城門の貴重な写真を紹介しましょう。
こちらの写真はFischertor
(フィッシャートーア)という城門です。
現在のSchwedenplatzに近い所にMorzinplatzがあり、その3番地界隈には魚市場があったことから来ています。
この城門は1529年までは
Salztor(ザルツトーア)と呼ばれていました。
この城門は1646年に新しくなりました。
当時この城門には"ローマ皇帝フェルディナント3世 1646"と記されていました。
この写真はFischertorを街の外側から見ていますので、ずっと左側に現在のドナウ運河が流れています。
大きなアーチの入口は馬車用の入口で、そのすぐ左側に歩行者用の入口が作られています。
よく見ると3人の人間が立っていますが、人間の大きさと比較すると城壁はかなり高く作られていたことがわかります。
こちらの写真はFischertorを
旧市街地側から見ています。
馬車用のアーチの入口には梯子が見えます。
左奥を見ると、城壁が建物に接続されていることがわかります。
このFischertorはリンク道路の建設に伴って、1859年8月1日~10月8日に取り壊されました。
この2枚の写真は取り壊される直前のFischertorです。
ウィーンの街の古い写真は1857年頃からのものが存在しています。
この写真は" WIEN WIRD WELTSTADT・・・DIE RINGSTRASSE UND IHRE ZEIT" という展示会からのもので、去年国立図書館のプルンクザールで見ることができました。