昨日はクリスマスイヴでした。
うちにも"Christkind"が来てくれたようでたくさんのプレゼントがもみの木の下にたくさん置かれていました。
クリスマスツリーのもみの木はこちらでは"Christbaum" (クリストバウム)と呼ばれていて、本物のもみの木にちゃんと装飾をして飾る習慣があります。
そもそも、"本物のもみの木"という表現がこちらの人からすると滑稽だと思います。
おもちゃのツリーを飾る習慣はないからです。
生活の中では年間を通して一番重要な行事がクリスマスです。
(宗教的には復活祭ですが)
うちも毎年もみの木を飾っていて今年はちょっと早めに買い、昨日の午後4に家族皆で装飾をしました。
日常生活の中では"重要な習慣"として当たり前のように毎年この時期になればもみの木を飾ります。
ところでなぜクリスマスにもみの木を飾るのでしょうか?
これはクリスマスの習慣とキリスト教に大きな関係があります。
キリスト教の成り立ちで書いていますが、313年にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の時代、おそらく325年のニケーアの公会議で、もしくは336年12月25 日にローマ帝国でキリスト降誕祭が行われているのはほぼ確実とされていることもあり・・・あるいは354年とも?・・・いずれにしても325年~354年 にイエスの生まれた日が12月25日に定められたようです。
聖書の中にはイエスがいつ生まれたかというハッキリした記述はありません。
当時ローマ帝国は多神教で、キリスト教はそのひとつであったわけです。
キリスト教は様々な異教に出会い、その祝祭日をキリストの誕生日にせざるおえなかった
わけです。
言い方を変えれば、当時ローマ帝国で普及していた太陽神側にもいい顔をし、
自ら認めたキリスト教側にもいい顔をして・・・というように帝国をまとめるための苦肉の政策のようにも見えます。
そのような背景から以下3つの大きなお祭りがクリスマスのベースとなっています。
①その多神教の中での太陽神ミュトラスを信仰するミトラ教はとても重要で、
太陽神の誕生を祝う冬至祭が12月25日であったこと。
②農耕の神サトゥルヌスを崇め、豊穣を祈願するお祭りのサトゥルナーリア祭、
これは紀元前217年頃からあったとされています。
③北欧のユールの祭りからも影響を受けています。
北欧においてもケルト、ゲルマンが信仰していた神々やその風習が取り入れられ、
収穫の感謝と太陽の復活を祝う冬至のお祭りがありました。
さて、クリスマスツリーの
原型は、上述した③の北欧に住んでいた古代ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭りで使われていたのがもみの木です。冬でも葉を枯らさずにいる・・・これが生命の象徴とされていました。
こうした「祭りごとを行う時に、もみの木を飾る」という行為は今のドイツにも伝わり、キリスト教の普及と共にキリスト教でもその習慣を引き継いで行きました。
1419年にドイツのフライブルクで、パン職人の信心会が精霊救貧院にツリーを飾ったことが最初の、クリスマスツリーをクリスマスに飾った記録とされています。
常緑樹を飾ったのはなぜでしょうか?
日が短い冬の暗い闇と戦い、闇を追い払うために人々はその時日が短い太陽を元気づけるために火を燃やし、大地のなかの生命が生き続けていることを示すために、冬でも葉を枯らさずにいる、生命のシンボルでもある常緑樹を飾ったということです。
そのような歴史的背景から現在に見られるクリスマスツリーを飾る習慣があるわけです。