ドイツのハンブルク生まれの"3B" ひとりであるブラームスは、29歳の時にウィーンに初めてやって来て、その10年後からウィーンに定住することとなり、ウィーンのカールス教会のすぐそばで63歳で亡くなっています。
ウィーンでブラームスの跡を見ようと思うと実はあまりなく、ブラームスの像、中央墓地、楽友協会のブラームスザール、グリーヒェンバイスルのサインぐらいしかすぐには思いつきません。
ブラームスの博物館はありませんが、ハイドンハウス内にはブラームス記念室があって、
そこがある意味ではウィーンで唯一のブラームスの博物館らしい空間です。
ブラームスの博物館というと、ウィーンではなく、ウィーンから車で110km程南に走ったMürzzuschlag (ミュルツツーシュラーク)に中々充実したブラームス博物館があります。
このMürzzuschlagは、世界遺産のセンメリング鉄道のウィーンから行くと終わりの街で
グラーツを州都とするシュタイヤーマルク州にあります。
センメリング鉄道はGlognitz~Mürzzschlag間を結ぶ、大変重要な意味を持ったヨーロッパで最初の山岳鉄道です。
Mürzzuschlag駅から600m程歩いたWiener Straße 4番地にあり、ここはブラームスが
1884年、1885年の夏に計9ヶ月間滞在し、交響曲第4番などを始め、30以上の歌曲や合唱曲を作曲した場所です。
博物館の角にはブラームスの像があります。
ここは当時Sulkovsky侯爵の家で、中庭が美しくかなり大きな建物です。
ブラームスはWiener Straßeに面した出窓のある場所に住みました。
中に入ると、すぐ左側の壁にはブラームスの像が見られます。
また、ここの入場券はブラームスの名刺になっています。
この名刺にはブラームスの名前と"Mit freundlichem Gruß" (よろしくお願いします)と
書かれています。
博物館に入ると入場料を払う場所があり、左奥にはショップがあります。
階段を上がって行き、博物館が始まります。
暗い廊下の左右にはブラームスに関する資料が展示されている窓がたくさんあります。
ブラームスは毎夏に、Bad IschlやPörtschachといったオーストリアの避暑地で過ごす習慣がありました。
この博物館のそれぞれの部屋にはそれぞれ避暑地の場所がテーマになっていて、様々な
ブラームスに関する資料が見られます。
途中には、ウィーンのカールス教会横で亡くなったブラームスの最後の住居からの遺品が
展示されている空間もあります。
また、ブラームスと関係があった人物なども見られ(下段右の写真)、ここには
フランツ・ヨーゼフ1世皇帝と娘のマリー・ヴァレリー、ヨハン・シュトラウスと彼の妻の
アデーレ、ブルックナー、ビルロートといった有名人が見られます。
また下段左の写真のようにちょっとしたコンサートサロンもあり、ここではブラームスが
エジソンの蝋蓄音機に録音した、自作自演のハンガリー舞曲第1番を聞くことができます。これはおそらく現存しているピアノ録音の最古のもので、1889年のものです。
実際にブラームスが住んだ場所は博物館を奥まで行くと最後に登場します。
上段2枚の写真はブラームスが実際に居住した部屋です。
左上の写真はBad Ischlにあったブラームスの別荘のバルコニー部分です。
(ブラームスの別荘はもう残されていません)
また、ブラームスが頻繁に通ったレストラン "Zum Roten Igel" (赤いはりねずみ)を
キャラクターとした約4.5kmのブラームスの散歩道もこの博物館から始まっています。
右上の写真が赤いはりねずみです。
"赤いはりねずみ"もウィーンにはもうありません。
そこはホテルアマデウスになっています。
ここはウィーンからは行きづらいですが、ブラームスファンの方は必見の博物館で、
オーストリアでは唯一のブラームスの博物館です。
センメリング鉄道と組み合わせての日帰り観光もいいですよ!
ブラームスの像、中央墓地、楽友協会のブラームスザールも御覧下さい。