ウィーンはヨーロッパ文化が凝縮した街なので、あらゆる分野のものが交差しています。
音楽もその分野のひとつですから、この街には日本からも音楽の専門的なツアーが年間を通してたくさんあります。
様々な作曲家の住んだ家が多く残されているウィーンでは、ベートーヴェンが遺書を書いたハイリゲンシュタットに行くことが比率的には一番多いのではないかと思います。
ベートーヴェンのハイリゲンシュタット遺書の家はベートーヴェンが聴力の回復を期待して滞在した場所で、耳がが聞こえなくなっていくことで絶望して遺書を書いたというドラマがあった場所です。
このブログコーナーでもベートーヴェンに関することは結構取り上げています。
ハイリゲンシュタットの遺書の家、ベートーヴェンのデスマスク、第9交響曲の家、
第9交響曲の家 2、第9交響曲の家 3、交響曲第6番田園の小川、ベートーヴェンの記念像、
ヘレーネ渓谷のベートーヴェンの跡、ウィーン21区のベートーヴェンの滞在場所、
ベートーヴェンの最後の住居、中央墓地なども参照して下さい。
その遺書の家を見学する時には、たいていベートーヴェンの散歩道にも行くことが多いわけですが、ベートーヴェンの散歩道はそこからもっと奥に行った所にあります。
時間に余裕がある時にはそのまま歩いてEroicagasseを経由してベートーヴェンの散歩道(Beethovengang)に入りますが、時間が限られている時にはバスでBeethovengangの近くまで入って、
そこからほんのちょっと歩いて散歩道に入ります。
いずれにしてもこの散歩道の途中には
"Beethovenruhe"(ベートーヴェンルーエ・・・ベートーヴェンの休憩所)と呼ばれる所があり、そこにベートーヴェンの
記念像が立っています。
ここまで来たらやっぱりこの記念像は見ておきたいですね。
ベートーヴェンの記念像は写真で見られるようにちょっとした柵に囲まれていて、しっかりした専用の空間に立ってます。
ここはベンチも置かれていて少し休むことができます。
ベートーヴェンは散歩が日課で、この辺りに滞在した時は毎日のように散歩し、自然の中に
自分を見つめ、様々な音楽的霊感を得たと言われています。
この辺りは当時は今とは全く違うのどかな田園風景が広がっていました。
このベートーヴェンの散歩道に沿ってSchreiberbach (シュライバーバッハ)という小さな川が流れています。
それが第6交響曲の田園の小川です。
このベートーヴェンの記念像はAnton Dominik von Fernkornという彫刻家によって製作されたもので、"1863年6月15日に序幕された"と記されています。
別の記録では6月23日という説もあります。
このベートーヴェン像はウィーンで一番最初にできたベートーヴェンの記念像です。
右上の写真を御覧下さい。
これはベートーヴェンの散歩道からもっともっと上に行ったカーレンベルクから見たのどかな風景で、ぶどう畑が広がっているのが見えます。
ベートーヴェンが当時この辺りに住んでいた頃は、その地域もこのような牧歌的な風景が広がっていたはずです。