本日10月26日は「Nationalfeiertag」(ナチィオナルファイエルターク)という、"オーストリアの祝日"です。
この国の現在の姿の基本が生まれたとても重要な日です。
も参照して下さい。
2015年5月15日はオーストリア国家条約が結ばれて60周年記念日ということで、ベルヴェデーレ宮殿でのちょっとした特別展示やセレモニーについて書きました。
その時にオーストリアの国旗や国章について少し触れたので、今日はその意味についてまとめてみます。
オーストリアの国旗は赤・白・赤で、街中の決まった所に掲げられているか、重要なセレモニーに一時的に登場したり、ホテルの入口などで見ることができます。
上の4つの写真は左上からそれぞれ、船の国籍、ベルヴェデーレ宮殿、ウィーンの森ハイキングコース、古城ホテルの入口です。
この赤・白・赤は"Bindenschild" (ビンデンシルト)と呼ばれています。
これは中世に遡るものですが、何が起源になっているか非常に不確かなんですね。
このBindenschildにはいくつかの説があります。
1.
バーベンベルクのレオポルド5世が、第3回十字軍の戦いで彼の白い服に返り血を浴びた時、剣をさしていたいわゆる帯剣用のベルトを外したらその部分だけが白くて、その上下は血で赤く染まっていた。
2.
バーベンベルクのフリードリヒ2世闘争公が、彼の印章を保管していたクエンリンガーがそれを渡すのを拒んだため戦いとなり、その後フリードリヒ2世が絶対に変えることができない新しい印章を作らせた。
3.
バーベンベルク家が今のNiederösterreich Hornの貴族Grafen von Poigen-Hohenbergが途絶えた後、1210年より前に、彼らの土地を含めてこれを受け継いだ。
つまりこれはGrafen von Poigen-Hohenbergより由来するもの。
4.
バーベンベルク王朝時代のレオポルド3世の1105年の戦いを描いたペン画に、3色に分かれた盾を使用しているのが見られる。
この赤・白・赤のBindenschildは、いずれにしてもバーベンベルク王朝時代にはすでに使用されていました。
その後1273年にハプスブルグ家が世界史の檜舞台に登場してから、ハプスブルグ家のルドルフ1世がすでにこのバーベンベルク王朝時代からのBindenschildを取り入れました。
そして結果的に現在のオーストリアの国旗になっています。