カプツィーナー教会

ウィーンには様々な教会があります。教会それぞれに色々な建築様式を見ることができ、

深い歴史を持っています。

教会や修道院は芸術の宝庫とも言えるでしょうか。

"教会史"をベースにすれば、建築様式が違う教会でもひとつの統一性が見えてくるのも非常におもしろい所です。

 

今日はウィーン中心にあるハプスブルグ家にとっても重要な教会、カプツィーナー教会に少し触れたいと思います。

 

カプツィーナー教会はケルントナー通りからちょっと入ったNeuer Marktに位置していて、そこはハイドンが皇帝讃歌を作曲した場所でもあり、広場の中央にはドンナーの泉があります。

そこに行くとこの写真に見られる三角の形が印象的な教会が建っています。

 

カプツィーナ修道会は1528年にフランシスコ会から枝分かれしました。

 

1209年に設立されたフランシスコ会のおおもとが小さき兄弟会で、これが今のフランシスコ会で、そこから1517年枝分かれし、いわゆる今のミノリーテンが成立し、

その後1528年にはさらに枝分かれしたカプツィーナ会も成立しています。

現在のミノリーテンはフランシスコ会、カプツィーナ会よりも規模が小さくなっています。

 

(日本語ではカプチン会と言われる場合が多いと思いますが、

         ここではドイツ語の通りカプツィーナーという名称を使います)

 

ウィーンにカプツィーナ会は1599年に入って来ました。

当初はこの場所ではなく、別の場所で活動を始めましたが、ハプスブルグ家のマティアス皇帝の皇后アンナが1617年、"自分が亡くなったら、自分達のお墓をここに作るように"ということを遺書に残し、現在この場所をカプツィーナ会に提供しました。

その直後、アンナ皇后が1618年、その3ヶ月後1619年にマティアス皇帝が亡くなった時にはまだ教会は作られていませんでした。

その後皇帝フェルディナント2世の時代1622年に建築が始まり、1633年に完成しました。

 

その後多くの改築がありますが、結構質素な正面入り口には当時の歴史的資料に準じて1936年にハンス・フィッシャーによって描かれたフレスコ画が見られます。

 

教会内部も質素な雰囲気で、たったひとつの空間しかありません。

正面には大理石から作られた主祭壇があり、

Peter Strudelのものです。

祭壇画は"Maria Schutz"という、キリストにひざまずく聖母マリアが描かれています。

この教会は"Heilige Maria von den Engeln"とも呼ばれています。

またカプツィーナ修道会の修道士も祭壇画に登場しています。

 



内部空間の左と右には対照的に礼拝堂が作られています。

主祭壇に向かって左がKaiserkaplleという皇帝礼拝堂で、上の左の写真で、ハプスブルグ家のメンバー4人の像が見られます。

この礼拝堂に4年前に亡くなった、ハプスブルグ帝国時代最後の皇帝カール1世の長男である

オットーの柩がしばらく置かれていました。


右上の写真に見られるのは右側の礼拝堂で、Pietakapelleと呼ばれるピエタ礼拝堂です。

象牙色的な大理石の素晴らしいピエタのシーンを表す彫刻が印象的です。

ここにはMarco d' Aviavoというウィーンで1699年に亡くなったカプツィーナ会の有名な

修道士のお墓があります。彼は皇帝レオポルド1世と親しい関係でもありました。




 

このカプツィーナー教会の地下に"Kaisergruft"(カイザーグルフト)という有名な皇帝の地下墓地があり、150体近くのおびただしい柩が並べられていることで知られています。

特にマリア・テレジアの豪華なひつぎは見応えがあります。

ここは入場料がかかりますが、教会自体は無料で入ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

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