ウィーンの街は今でもかつての帝国の都であった面影を残し、荘厳な建造物が建ち並ぶ、
緑豊かな美しい街です。
それもハプスブルグ家というヨーロッパで一番長く続いた王朝の居城がこの街にあり、
そしてそのハプスブルグ家の頭上にかなりにわたって神聖ローマ帝国の皇帝やローマ王の称号が置かれていたことで、様々な人たちがこの帝国の都に集まって来ました。
そのため他のヨーロッパの街とは全く違った奥深さがある街です。
いつしか音楽の都と言われるようになり、有名な多くの音楽家達が足跡を残しています。
その中で意外なことに大音楽家のバッハはウィーンではまず見ることができません。
ヨハン・セバスティアン・バッハは1685年3月31日アイゼナハで生まれ、
1750年7月28日にライプツィヒで亡くなりました。
バロック音楽の重要な作曲家であり、即興演奏の名手で、鍵盤楽器の演奏家でもあり、
後の音楽家にも大きな影響を与えました。
生涯の大部分を教会音楽家として過ごしたため、宗教曲が非常に多いわけです。
バッハと言えば、すぐに教会を連想するのはそのためです。
ピアノ曲(と言っても当時はまだピアノではなくチェンバロやクラヴィコードが主流)、
管弦楽曲、オルガン曲、声楽曲、室内楽などの幅広い分野を手掛け、対位法的音楽が主流ですが、それをさらに極限まで進化させ、それまでの音楽スタイルを集大成しました。
それまでのポリフォニーの世界から、古典派以降のホモフォニーの世界のちょうど真ん中に
君臨するバッハは音楽史上、大変重要な位置にいる作曲家となっています。
彼の音楽は現代のポップスやジャズにも影響を与え、応用されています。
一族は多くの音楽家を輩出したことでも知られ、長男のヴィルヘルム・フリーでマン・バッハ、次男のカール・フィリップ・エマヌエルバッハ、後妻との子供で末っ子のヨハン・クリスティアン・バッハなどが知られています。
特にクリスティアン・バッハはモーツァルトとも交流がありました。
バッハはEisenach,Ohrdruf,Lüneburg,Weimar,Arnstadt,Mühlhausen,Köthen,
Leipzigと場所を多く変えましたが、現ドイツにしか留まらなかった作曲家です。
そのためウィーンにはバッハが滞在したということは一切ありません。
しかし、ウィーンに滞在した数々の音楽家達にあらゆる影響を与えたのはバッハです。
しかも、今年の2015年はバッハ生誕330周年記念であり、しかも今日7月28日がバッハの
命日ですから没後265年でもあるというわけです。
そのため今日はバッハをちょっとテーマにしてみました。
ウィーンでバッハの何かがありますか・・・と聞かれたら、私にとってすぐ思い浮かぶのは左上の写真で見られるバッハの像です。
このバッハ像はちょっとマイナーな場所にあり、街中のどこか外で見ることはできません。
この像は世界で最も音響がいいウィーン楽友協会ホールの日本式でいう1階のかなり奥の
部分に立っています。
このバッハ像は Vincenz Pilzによって1876–1878に製作されたものですが、1911年に
楽友協会ホールの改築があった時に今の場所に移されています。
右上の写真はバッハのお墓があるライプツィヒのトーマス教会です。
このコーナーでも"楽友協会地下にある4つのホール","楽友協会ホールのパイプオルガン",
"楽友協会ホールの女像柱"、"楽友協会のブラームスザール"などについていくつか取り上げていますので御覧下さい。