ワルツ王 ヨハン・シュトラウス(2世)の像

ウィーンの街を歩くと色々な所に記念像といった銅像が立てられていることに気づきます。

基本的には歴史上名を残した重要な人物がテーマとなっています。

このブログコーナーでもいくつか記念像については書いていますので、絵画と彫刻を参照して下さい。

 

今日は今更ですが、ウィーンを象徴する像のひとつについてです。

 

言わずと知れたこのヨハン・シュトラウスの記念像はたいていのガイドブックでは紹介され、ウィーンを代表する一場面としてよく取り上げられています。

 

ヨハン・シュトラウス(2世)の父であるシュトラウス1世は息子が音楽をすることを好まなかったにもかかわらず、

息子は19歳ちょっと前に楽団を結成し、ウィーンで華々しくデビューします。

 

父が45歳で亡くなり、その後は息子の時代となります。結果的に息子はワルツ王と言われ、父はワルツの父と言われるようになりました。

 

参考までにこちらもどうぞ→

    シュトラウス1世最後の家

 

 

市立公園にあるこのヨハン・シュトラウスは金色で、立ってバイオリンを演奏しています。

実際にシュトラウスはこのスタイルで演奏をしていました。

像の後ろの装飾的な背景は白の大理石で、ドナウの乙女と踊っているカップルが表現されていて、シュトラウス自身も大理石の台座の上に立っています。

興味深いことに、シュトラウスの特徴を示すひとつであるもみ髭が見られません。

 

ヨハン・シュトラウスが亡くなった5年後の1904年にこの記念像のコミッションが結成され,2年後の1906年にコンペが行われ、Edmund Hellmer(エドゥムント・ヘルマー) の案が満場一致で決まりました。その9年後にウィーン市から約束された補助金が支払われます。

 

第1次世界大戦のおかげで、さらに伸びて1920年にやっと実行されます。

エドゥムント・ヘルマーによって製作されたこのシュトラウス像は1921年6月26日に序幕されることになります。

 

当初から金色だったこのシュトラウス像は批判されて、結果的に1935年に金色が剥がされました。

ずっと文字通りの銅像となるわけですが、1991年に再び金色になりました。

余談ですが、この時の 金は 1/7000 mm という薄さでした。

 

2010年にこのシュトラウス像は根本的な修復のため、ここから姿を消しましたが、次の年の2011年の秋に再びこの場所に戻って来ました。

 

この像を見ていると美しき青きドナウが聞こえて来る気がしませんか?

 

 

 

 

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