ウィーンの街は415km²とかなり広い街で、東京と同様の23区で成り立っています。
東京は区の他に市もたくさんあるわけですが、ウィーンは、ウィーン市市自体が23区に
分けられているわけです。
ウィーンには6000以上の通りが存在し、それぞれの通りに名前が付けられ、通りに沿って
奇数、偶数番号と住所が定められているので簡単に目的に場所がわかります。
それぞれの通りの名前はたいてい歴史的に言われあることから付けられています。
こちらの通りはウィーン10区にあるTriester Straße(トリエスターシュトラッセ)という地元では有名な大きな通り です。
この通りはローマ時代には今の
ケルントナー通りを出て、
Wiedner Hauptstraßeに入り、
その延長上に位置し、南の方に伸びる重要な通りでした。
この通りの目的地は今のハンガリー領にあるショプロンでした。
中世の頃このTriester Straßeは、センマリング、シュタイヤーマルク、ケルンテン、その先イタリアのヴェネツィアまでの重要な商業通りでした。
この通りが現在の名前になるのは
1883年です。ここからずぅ~っとずぅ~っと南には現在イタリアのアドリア海沿岸の街トリエステがあり、そこはオーストリア帝国の軍港でした。
そこに行くための重要なルートだったわけです。
この通りはマリア・テレジア女帝の父カール6世が18世紀初頭に
拡張させたNeustädterstraßeとしてよく知られていました。
1902年にはMatzleinsdorferplatzからの路面電車も走り出しています。
このようにひとつの通りを例にとっても、言われある様々な歴史的出来事が隠されていますので、この通りはどうしてこのような名前になっているんだろう・・・と想像しながら
街中を歩くのも楽しいものです。