ウィーンの街はヨーロッパで一番長く続いたハプスブルグ王朝の居城があったため、
王朝時代からのありとあらゆる物や習慣が現在でも見ることができます。
まさにウィーンは昔と今が交差した奥深い街です。
さて、ハプスブルグ家での超有名人としてマリア・テレジアはどなたでも知っていることでしょう。女性として国を動かし、現代社会構造の基盤を築き、16人の母親でもありと
話題たっぷりです。
その彼女の荘厳な"柩(ひつぎ)"を御覧になったことはありますか?
ハプスブルグ家の有名な伝統的な遺体埋葬方法があります。
心臓、内臓、骨と大きく3つに分けて、それぞれウィーン中心部にある3つの教会に
置かれています。
ただ・・・ハプスブルグ家全ての人々がこのスタイルで眠っているわけではありません。
17世紀前半~19世紀後半(1619年に亡くなった皇帝マティアス~1878年に亡くなった
フランツ・ヨーゼフ1世の父フランツ・カール)までの人々です。
マリア・テレジアの棺はその3つの教会のひとつであるカプツィーナ教会の地下納骨所に
あります。
Kaisergruft(カイザーグルフト)とかKapuzinergruft(カプツィーナーグルフト)とも呼ばれています。
カプツィーナ教会のKaisergruftに入ると、まるでハプスブルグ家の家系図をたどるかのように年代順に様々な柩が置かれています。
その中で"Maria Theresia Gruft"
とも呼ばれる奥の一角の中央にこの写真に見られるマリア・テレジアの柩が堂々と置かれています。
この柩は女帝の夫ロートリンゲン公
フランツ・シュテファンとのもので
マリア・テレジア1人のものではありません。柩は8つの足に支えられ、豪華な赤大理石の上に置かれています。
ひつぎの側面にはマリア・テレジアのプラハでの戴冠、プレスブルク(現ブラティスラヴァ)戴冠での乗馬、シュテファンのフランクフルトでの戴冠、シュテファンのフィレンツェでのトスカーナ大公としての入城といったマリア・テレジアとフランツ・シュテファンの人生での4シーンがレリーフとして施されています。
ひつぎの4つの角には悲しみを表す精霊が置かれ、ボヘミア、ハンガリー、エルサレム、
神聖ローマ帝国のそれぞれの王冠とワッペンを持っています。
ひつぎの上にはマリア・テレジアと
シュテファンがお互いに見つめ合う
ように置かれ、それぞれ1.3mと
かなり大きな像です。
この豪華で大きな柩は1754年に
Balthazar Ferdinand Moll によって製作されました。
マリア・テレジアが37歳、
フランツ・シュテファンが46歳の時でした。
マリア・テレジアは63歳で、
シュテファンは57歳で亡くなっていますからかなり早くから作られたわけですね。
このKaisergruftには何と150体近くの柩が置かれていますが、このマリア・テレジアの柩が最も見ごたえがあります。