今日は舞踏会の頂点である国立オペラ座の舞踏会(Opernball)です。
国立オペラ座の舞踏会は毎年、謝肉祭の最も盛り上がる火曜日(Faschingsdienstag)の前の木曜日と決められていて、今年は2月17日がFaschingsdienstagです。
国立オペラ座は年間約300回の公演があり、しかも毎日違った演目を提供しています。
しかし、この舞踏会の時にはさすがに準備に時間がかかるので、昨日と一昨日は公演がなく
準備にあてられました。
客席を取り外し、その客席スペースと本来の舞台スペースを使って大舞踏会場を作り、
さらに本来の舞台スペースにはロジェの客席が設けられます。
左の写真は国立オペラ座の正面入り口で、数日間にわたって取り付け作業が行われました。
右の写真は国立オペラ座恒例のデビュタン(社交界デビューする若者)の入場風景です。
国立オペラ座をあまり知らないと前後どっちなんだろう・・・どういう構造になっているんだろう・・・と思うわけですが、写真奥が舞台で、その舞台領域にも舞台ロジェと言われる
ボックス席が作られているのがわかります。
国立オペラ座舞踏会は、有名なウィーン会議(1814-1815)の時からだとされていますが、場所は宮廷関係の劇場ではなかったようです。
そもそも国立オペラ座自体、1868年に完成していますからウィーン会議の50年以上後と
いうことになります。
その1820~30年代、この帝国の都ウィーンでは数々の大小の舞踏会が開かれるように
なっていました。
ヨーゼフランナー、ヨハン・シュトラウス(父)が活躍する時代ですね。
それから王宮のレドゥーテンザールで開かれるようになっていきますが、
1848年の革命時からはしばらく静かになります。
1862年Theater an der Wienが舞踏会開催を許されました。
1869年にリンク道路の現在の国立オペラ座を宮廷が使い始めますが、
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がここでの舞踏会を拒んでいたため、1870年に完成した
ニューイヤーコンサートで有名な楽友協会ホールで "Ball in der Hofoper"として
開かれました。
1877年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が賛同し、初めて現在の国立オペラ座の一角で祭典が行われました。
ハプスブルグ帝国崩壊後、オーストリアが共和国となり、すぐに帝国時代の懐かしさから1921年にはすでに舞踏会が開かれました。
1935年には「Wiener Opernball」という名で開かれ、1939年第2次世界大戦前日の夜、最後のオペラ座舞踏会が開かれます。
戦後壊された国立オペラ座が1955年に修復され、1956年2月9日に現在の
オーストリア共和国の初めての国立オペラ座舞踏会が開かれ、現在に至っています。
つまり今年は現在のオーストリアになって59回目ということですね。
国立オペラ座舞踏会は世界各国の著名人、貴賓が集まり、男性は燕尾服、
女性はイブニングドレスと決められています。
国立オペラ座舞踏会の入場料金は去年と全く同じですが相当高いですね!
入場料 | EUR 250,- |
ボックス席(ロジェ) | EUR 18.500,- |
舞台側ボックス席 (大) | EUR 18.500,- |
舞台側ボックス席 (小) | EUR 10.200,- |
舞台側ロジェ テーブル付き | EUR 9.000,- |
6人用テーブル |
EUR 1.080,- |
4人用テーブル | EUR 720,- |
2人用テーブル席 |
EUR 360,- |
6階 4人用テーブル | EUR 360,- |
6階 2人用テーブル席 | EUR 180,- |
国立オペラ座舞踏会の様子のビデオが見られますので、興味ある方は御覧下さい。
https://www.wiener-staatsoper.at/opernball/
※国立オペラ座オフィシャルサイトより