オーストリアは9つの州があり、それぞれが個性を持ち、美しい風景が国内に広がっていますが、その中で映画サウンド・オブ・ミュージックでも登場し、オーストリアの宝石箱とも形容される大小70以上の氷河から生まれた美しい湖が点在するザルツカンマーグートには
有名な街がいくつもある中で、以前ここでも話題にした、私も大好きな街のひとつであるSt.Wolfgang(ザンクト・ヴルフガング)には、白亜の教会があり、有名なホテル"白馬亭"があることで知られています。
この街の名の由来になっている教会St.Wolfgangには、オーストリア3大ゴシック様式祭壇のひとつに数えられている素晴らしい祭壇があります。
こちらの教会がPfarr KircheSt.Wolfgangで、教区教会とでも日本語で言いますでしょうか。湖の反対側からでもこの教会はよく目立ち、白馬亭のすぐ横に立つこの街のシンボル的存在です。
確かな記録としては12世紀になってから登場していますが、伝説によれば聖人ヴォルフガング自身によって10世紀に作られたとされています。
聖ヴォルフガングは924年にシュヴァーベン地方の貴族ファミリーの出身で、レーゲンスブルクの司教でもあり、
994年にオーストリアのOberösterreichで亡くなりました。
その彼に捧げられています。
その薄暗い教会内部に入るとゴシック様式の構造がハッキリ見られます。
一番奥にその素晴らしい祭壇が置かれています。
この祭壇はMichael Pacher(ミヒャエル・パッヒャー)によって製作された後期ゴシック様式の傑作です。
ミヒャエル・パッヒャーは1435年にチロルで生まれ、1498年に
ザルツブルクで亡くなったオーストリアで大変重要な画家であり、木彫りの彫刻家でもあります。
この祭壇は1471年12月13日にMondseeベネディクト会修道院長のBenedikt Eck von Piburgから受注したという記録が残されています。
ミヒャエル・パッヒャーはその後、別の教会の祭壇を完成させ、その後1477年から彼の全エネルギーをこの祭壇に注ぎ、仮の工房で製作され、1481年にこの教会のこの場所に置かれることとなりました。
これは左右両側に開かれるようになっている見開き祭壇で、写真ではわかりませんが左右それぞれ2枚の扉があります。
それぞれの扉の外側と内側に宗教的な絵を描く習慣があり、完全に閉じられた時の扉の外側には計4枚、1枚目の扉が開かれた状態で、その扉自身の内側計4枚と、2枚目の扉の外側
計4枚の合計8枚、そしてこの写真のように全開した時の2枚目の扉の内側2枚の計4枚の絵が
見られるわけです。つまり合計で16枚の絵ということになります。
見開き祭壇は当時の習慣では、平日には完全に閉じられ、祝日には1枚目の扉が開けられ、
最も大事な祝日には2枚目の扉も開かれ、祭壇の中が完全に見えるようになるわけです。
今日ではたいてい、教会に置かれている祭壇は、復活祭の前以外平日でも開かれてる状態となっています。
左の写真では外側扉が開かれ、内側扉が閉まっている状態です。
木彫りに黄金が塗られていて、等身大に近い人物像がたくさん見られます。
中央には王様であるイエス・キリストの前に聖母マリアがひざまずき、2人の上には精霊のシンボルである鳩が見られます。
その2人を、天使が歌を歌っていたりと、音楽を奏でて囲んでいます。
画面一番左には聖人ヴォルフガングが教会のモデルを持って立っていて、反対の一番右には聖ベネディクトが立っています。
写真に見られる2枚目の扉の内側の絵4枚は、左上がイエス降誕、左下がキリストの割礼、右上が神殿奉献、右下はマリアの死です。
イエスは生後8日目に割礼を受けます。これによってユダヤ人社会に受け入れられることを示しています。神がアブラハムやその息子達に割礼を施すように命じています。
イエスは降誕から40日後に神殿で祭司から聖別されるわけです。
この祭壇の下をよく見るとPredella (プレデラ)と呼ばれる横に細長い飾り台があります。
そこも見開きになっていて、左の絵はマリアがエリザベスを訪問するシーン、右の絵はエジプトへの逃避を表しています。
プレデラが閉じられた状態では、3枚目の写真に見られるように、4人の教会博士が描かれています。
プレデラその中央には聖三王がキリストを拝んでいます。
17世紀の後半オーストリアにバロック様式が流行し、たくさんの教会がバロック化されていきます。その時に、このミヒャエル・パッヒャーの祭壇も別のバロック様式の祭壇に取り換えられるはずでしたが、この素晴らしい傑作の真価が認められてそのままここに置かれるようになりました。
美しいザルツカンマーグートのこの街に、大変な中世の傑作があるわけです。
是非お見逃しのないように!