"きよしこの夜"はオーストリアから生まれた

早いもので今日は12月24日のクリスマスイヴです。

こちらの各家庭ではクリスマスツリーが飾られ、そのツリーの下にプレゼントがいっぱい置いてあることと思います。街中は昼過ぎぐらいから人の数がどんどん少なくなっていき、

家に閉じこもり、家族とクリスマスを過ごすわけです。

ずっと続いてきたクリスマスの盛り上がりがうそのような静けさです。

 

うちも先日買って庭に置いてあったクリスマスツリーを慌ただしく飾りました。

夕食が終わった後のプレゼント交換(Bescherung)が待ち遠しいです。

 

イヴと言えばやっぱりこのこの話題にどうしても触れたくなってしまいます。

プレゼント交換の前に敬虔な気持ちで歌われる"きよしこの夜"オーストリアからの世界中に広がって親しまれている歌です。

 

ザルツブルク中心から車で約20kmぐら走った所にOberndorf

     (オーベルンドルフ)という

人口5600人程の小さい街があります。

その街の一角に、この写真に見られるStille Nacht Kapelle

(シュティレ・ナハト・カペレ・・・

きよしこの夜礼拝堂)が立っています。

 

ここはもともと聖ニコラウス教会が建っていました。

 

1818年、当時のニコラウス教会で、ここのオルガンの状態がとても悪く、弾ける状態ではなかったようです。

その年のクリスマスの12月24日にはそのオルガンをミサで使うことができなかった・・・


そこで・・・


この教会のヨーゼフ・モール神父が書いた詩に、ここのオルガンの代わりに、

フランツ・グルーバー先生がその詩に曲をつけ、ギターで伴奏された曲・・・

そしてそこで歌われた曲・・・

それが「きよしこの夜」(Stille Nacht) だったのです。


上の2枚の写真は礼拝堂内部に見られるステンドグラスです。


左側がヨーゼフ・モール神父で、当時のニコラウス教会もガラスに見ることができますね。

モール神父は詩人ではありませんでしたが、このきよしこの夜の詩は、1816年にすでに

書かれていました。

 

右側はグルーバー先生でギターを持って演奏していますね。

やはりニコラウス教会が見えますね。

彼ももちろん知られた作曲家ではありませんでした。

こちらは礼拝堂のメイン祭壇です。

 

モール神父とグルーバー先生によって"きよしこの夜"が作られて歌われた当時のニコラウス教会は、

19世紀終わりのザルツァッハ川の

何回かの水害によって傷んでしまったため、最終的に1913年に

取り壊されることになります。

 

 

 

その取り壊しから20年以上経った後の1937年8月15日、

当時のニコラウス教会と同じこの場所にこの現在の礼拝堂が奉納されました。

 

 


 

"きよしこの夜"は、1818年・・・今から200年近く前にここで歌われ、その後

「Stille Nacht! Heilige Nacht!」と呼ばれ、チロルの有名なツィラータールを経由し、ヨーロッパ全土に、そしてアメリカに・・・やがて日本にまでと、世界中に知られるようになったのです。

この曲なしのクリスマスは考えられませんね。

 

「きよしこの夜」は全世界330の言語で現在でも歌われ、親しまれています。

 

さて、うちにもChristkind(クリストキント)が来てくれたかな・・・。

 

 

 

 

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