オーストリアではクリスマスにプレゼントを持って来るのは誰でも知ってるサンタクロースではありません。サンタクロースが登場しないクリスマスです。
しかし、実際に登場しない・・・というと嘘になるかもしれません。
クリスマスをわくわくしながら待つAdvent(アドヴェント)のこの時期、サンタクロースは装飾などの脇役では登場するので街中でもキャラクター的に見ることはできます。
こちらではクリスマスにプレゼントを持って来るのはサンタクロースではなく、
子供のキリスト(Christkind・・・クリストキント) が持ってきます。
だってクリスマスはイエス・キリストが生まれたことを祝うものなので、子供のキリストが
プレゼントを持って来るわけです。
いわゆるサンタクロースは、カトリックの有名な聖人ニコラウスが原型というのが
一般的で、今日12月6日は聖ニコラウスの日として知られています。
ニコラウスは小アジア
(現在のトルコ)のMyra の司教であり、だいたい350年ぐらいに亡くなったとされている聖人です。
貧しい人達を憐み、助けて、財産を全て貧者に与えたとも言われています。
よくある有名な彼のエピソードは、年頃の3人娘を持った、貧しい父親の話です。
お金がなかったので、娘たちを嫁がすこともできなかった・・・そこで娘たちが体を売ってお金を作ろうとした時に、ニコラウスが3日3晩現れ、その家の窓から、もしくは煙突から金貨を投げ込んだとされています。
その金貨がそこにぶら下げられていた靴下の中(もしくは置いてあった靴)に
投げ込まれた・・・ということです。
皆さん、サンタクロースからのプレゼントがどこに入るかという、小さい頃によく聞いた
話に何か思い当りませんか?!
もうひとつのエピソードは、航海中嵐によって難破しそうになった船の上で、船乗り達が
ニコラウスの名前を呼んだら海の上にニコラウスが現れて、命を救った・・・
ということです。
小アジアでは6世紀にすでにニコラウスのお祭りの習慣がありました。
現在でも彼のとても傷んだ棺がMyraの
教会の下にあり、特に東方正教会の重要な巡礼教会としても知られています。
1087年にそこからおそらく海賊達によって、ニコラウスの骨が盗まれ、イタリアのBari (バーリ)に持たらされ、そこに
ニコラウスの教会が作られました。
現在でもその教会は有名な巡礼教会です。
その後、ヨーロッパでもニコラウス崇拝がとてもポピュラーになったわけです。
やがて新大陸のアメリカが発見され、そこに17世紀、オランダ人達が移民していき、その時にこのニコラウス習慣を
アメリカに持って行きました。
St.Nikolaus はドイツ語では、
ザンクト・ニコラウス、英語で
セント・ニコラウス・・・
オランダ語ではSinterklaas・・・
これがアメリカからサンタクロースというカタカナ書きで、私達日本に入って来たわけです。
さて、こちらでは良い子にしていた子供達にニコラウスが来るわけですが、
果たして何をもらうのでしょうか?
それは落花生、リンゴ、みかん、チョコレート等といった食べ物です。
この冬の時期にも食べ物がある・・・という象徴的な物です。
昨日このコーナーで紹介したように、子供達が自分の靴を綺麗に磨き、その靴の中に
ニコラウスが食べ物を入れる・・・という習慣なんですね。
こちらの幼稚園などでも子供達に靴を磨かせてニコラウスを待つということが
行われています。
日本はかなりアメリカナイズされているので、クリスマスもアメリカ的にサンタクロースがプレゼントを持って来るわけです。
もちろんヨーロッパでもサンタクロースの習慣はあるでしょう。
しかしこちらオーストリアでは、サンタクロースは誰でも知っていますが、
サンタクロースがクリスマスプレゼントを持って来る・・・なんていう話は聞いたことが
ありません。
Christkindがプレゼントを持って来るからです。