ウィーンの街中には多くの場所に記念碑的な像が立っていたり、美しい建物の装飾と共に
ちょっとした像も施されています。(例.Bürgerhaus1を参照)
そんな像の多くは歴史上の有名人ですが、キリスト教文化のヨーロッパですから宗教画と
同様にキリスト教をテーマにする像も多く見られるわけです。
キリスト教と言えばすぐに、イエスの磔刑像や幼子イエスと聖母マリアを思い出すわけですが、今回はその"聖母マリア"についてマリア信仰をベースに少し触れてみたいと思います。
カトリックでは、女性は男性の従属物的という思想が見られます。
例えばアダムの脇腹の骨からイヴが生まれる、またアダムをそそのかしたのも
イヴであり、その軽はずみな行動から
結果的に楽園追放になるわけです。
そこから男性中心的で、女性蔑視的な
考え方があるわけです。
極論を言ってしまえば、キリスト教も、その母体となったユダヤ教も基本は人為的に作られたもので、そして時を重ねながら今日の形になった宗教であり、これはキリスト教やユダヤ教が始まるもっと前の時代、私達人類の先輩達が、生活の中での信仰心というものを自然に生み
出していたわけです。
特に有名な古い神様は地母神です。地母神は万物を生み出す力、生と死、豊穣や凶作、天界と冥界などを司る力を握っていました。母なる大地とも言いますね。
このオーストリアで見つかっている考古学上大変重要なヴィレンドルフのヴィーナスは
その典型的な例です。
それをキリスト教では"全能の神"と言われる唯一神の男神がその権限を持っていると定め、
女神には権限がないとしたわけです。
そのため古代ローマ帝国で313年にキリスト教が公認されてからは、古来からの地母神は
否定されることになるわけです。
しかし・・・
現実を見ると、自然界では基本的に男性と女性、雄と雌がそろって初めて中庸がとれるものであり、それは人間界においても同様です。
私達人間が無意識によって形成していく文化は男性要素だけでは成り立ちません。
それには女性的要素というものが不可欠であり、女性的要素がなければ文化は機能しない
わけです。
そこで男性中心、女性蔑視と抑圧された人々の欲求が、古来の地母神に替わるものとして
"マリア"が選ばられることになったわけです。
地母神が司っていた能力をそのままマリアに移しました。
そこで"永遠なる母性"ということで精神的な調和をはかったわけです。