音楽を知らない方でもモーツァルトのことは誰でも知っていると思います。
モーツァルトはウィーンに6歳の時に初めて来て以来数回訪れ、最後の4回目の滞在が25歳であり、それから亡くなる35歳までの10年間をこのウィーンの街で過ごします。
ちなみにモーツァルトの最後の家について以前書いていますので御覧下さい。
ただ博物館として見学できるのは"モーツァルトハウス ウィーン"だけですが、色々な場所
にモーツァルトの跡が見られます。
さて、今日はそのモーツァルトの跡のひとつについてです。
こちらはKruzifix-Kapelle
(クルツィフィクス・カペレ)という小さな礼拝堂です。
この礼拝堂はウィーンの中心にあるシュテファン大聖堂の未完成の北塔のすぐそばの外側にあります。
鉄格子が通常閉まっていることや、教会にポツンと付属したような雰囲気ですのであまり目立ちません。
18世紀に作られたこの小さな礼拝堂では亡くなった人との最後の別れ儀式が行われていました。
マリア・テレジア女帝の時代まで、このシュテファン大聖堂もそうですが教会の横に墓地があり、土葬をしていました。当然衛生上よくないので、女帝が城壁内の遺体埋葬を禁止させ、長男のヨーゼフ2世が城壁内の墓地を取り払い、外側(第2城壁の外側・・・現在のギュルテルのちょっと外側)に移させました。
中心から外側の墓地までは距離があるので、当時の人々はこのシュテファン大聖堂のクルツィフィクス礼拝堂で最後のお別れをし、城門まで歩きたいていそこで見送りました。
この礼拝堂の中を覗くと、目の前の壁にイエスの十字架像が見えますが、その下をよく見ると
この写真に見られる記念プレートがあります。
ここには"1791年12月6日、不滅のモーツァルトの最後の別れの式が行われた・・・1931年シューベルト連盟より"と書かれています。
その後、モーツァルトは埋葬に向けて聖マルクス霊園へと向かいますが、ほとんどの人が
城門までの見送りでした。