ウィーンのマリアヒルファー通りは美術史博物館の裏側からウィーン西駅まで、そしてさらにもっと奥まで伸びている長い通りですが、美術館の裏側から西駅までが俗にデパート街として知られ、通りの両側には様々なデパート的な店が並んでいて、ウィーンの中心部とはまた一味違った通りで多くの若者が歩いています。
この写真はマリアヒルファー通りを西駅側から中心方面に見たもので、地下鉄の"U"マークを見ることができる建物が手前に写っています。
この建物の壁の所に作曲家の記念プレートがあります。
人通りが多い場所で、たいていの人はそのプレートに気づきません。
その作曲家とはヨーゼフ・シュトラウスです。
ヨーゼフ・シュトラウスは
有名なワルツ王である
ヨハン・シュトラウスのすぐ
下の弟で、ワルツの父
次男になります。
彼は音楽とは縁がなさそうな
技術学校で学びます。
その後、現場監督として働きますが、兄ヨハン・シュトラウス
が1852年の秋、大変な疲労で
演奏旅行から帰って来たことが
きっかけで、次の年にシュトラウス楽団の楽団長として兄の代わりを務めます。
その後も兄のシュトラウスが不在の時などを始め、演奏する機会が増えていきます。
ヨーゼフ・シュトラウスは作曲法やバイオリンを習い、1857年6月8日に
カロリーネ・プルックマイヤーと結婚し、次の年に女の子が生まれます。
1870年のワルシャワ演奏旅行の際、演奏中に意識不明になり、指揮台から落ちていまい、
その後まもなくウィーンで1870年7月に43歳になる前に亡くなります。
死因はハッキリとはわかっていません。
このプレートは、"この場所に建っていた家で1827年8月20日にヨーゼフ・シュトラウスが
生まれ、その17年後に彼は280のダンス音楽を作曲し、兄のシュトラウスと弟の
エドゥワードと共にシュトラウス楽団を指揮した"と記されています。